あいさつするのが苦しい、
あるいはあいさつされるのが苦しい人へ。
あいさつの虚しさ
私は小学生の頃から
何故あいさつしなきゃならないのか
わからなくて躓きました。
今よりも人見知りで
コミュ障だったので
用もないのにわざわざ
あいさつしなきゃならない
理由が分からなくて辛い思いをしました。
なので、
それが礼儀だとか、あいさつした方が信頼されるとか、
あいさつした方が人間関係が楽になるとか言われますけど、
あいさつする方が逆に辛くなります。
高校生のとき、山の中の自然の家みたいな
ところに合宿にいって、
学年、クラスの交流を深める機会がありました。
そこであいさつを訓練してみればいいって
誰か先生が言ってたから
滞在の3日間くらい
めっちゃ元気にあいさつしてました。
でもその時感じたのは
どこまでも虚しさで、
元気にあいさつして
いい子になろうとしてるゲスい自分
が分かってよけい辛くなるだけでした。
じゃあ、
あいさつされたらどうかと言うと
それも辛くて、
あいさつが矢のように突き刺さります。
むりやり応答させられる
脅迫されてるような
胸がどうっとするような。
あいさつの不思議
単なるあいさつでここまで
大袈裟になるのは
馬鹿らしいと言われるかもしれません。
でも、考えてみるとすごく不思議な
「あたりまえ」です。
あいさつが辛いのは
その言葉自体に意味はないにも
かかわらず、応答しないといけないからだろうなと思います。
おはようございます
こんにちは
こんばんわ
すべて言葉自体には意味なく
反応することに意味があります。
元々の意味はあるけれど、
それはもう意識されていません。
この意味のない言葉で
反応し、反応されるという謎がここにあります。
もちろんあいさつすることによって
信頼され、第一印象もよくなります。
でも、それはあとづけで、
あいさつするその場では
何をやっているのか皆んな分からないでやってます。
何故あいさつするのか。
本当のところは
わかっていないから、
あえて気づかないよーに
ささいなことであるかのよーに
見て見ぬふりをしている、
と思うのはうがった見方でしょうか…
生きている意味とは何か。
問い始めたらきりがなくて前にすすめない
からあえて問わないのと同じような感じで。
そして、もしかしたら、
この不思議な現象を不思議な現象として
知りつつあいさつしている人と
そうでない人とでは
あいさつの奥行きが違うのかもしれません。
あいさつの奥行きって、あるのかどうか知りませんけど…
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