2021年 4月 の投稿一覧

優先順位

昨日仕事で、
「知らないことは自分で調べて勉強して
学ぶもの」ということを言われ、

なるほどな、と思いました。

ですが、昨日は
今の職場の業界でしか扱わない
専門知識の勉強をすすめられたので

教えてもらって当然という姿勢よりも
自分から学ぶ姿勢がいいのは分かったけど、

今すぐ力を入れて勉強する分野ではないなと
思い、葛藤しました。

今は本質的なスキルの形成に力を入れている
つもりで、これまた学んでいる感覚とかが
なくて困るんですけど、

どこでも通用するスキルを優先的に
身につける必要があるなと。

学生の頃にこの優先順位を間違えて
「学んだ感」のある歴史や文化史に力入れて
勉強してしまって逆に遠回りをしてしまいました。

なので「あなたの専門は?」と
聞かれてもぽつぽつとしか答えられない
苦しさがあります。

確かに、本質的な学びっていうのは
本当に今この勉強していていいのかな、
って疑問に思ったり、焦ったりしますが、

だからこそ皆んなやらないので
勉強したらほんとに抜きんでられます。

労働についてまた

労働が辛い辛いと耐えて耐えてしてますけど、

そもそも労働ってものが実は頭の中で
勝手にこしらえた概念だったと気づけるように
なりました。

労働は労働でも手軽な事務作業とかなら
無心に作業する面白さわかりますし、
(もちろん長時間やってると嫌になります)

逆に労働とは言われない読書
でも、難解な哲学書読んでるときは
「労働かっ!」って思うほど骨が折れます。

一つひとつ個別に見ていく必要があるなと思いました。

どちらでもない

どちらでもないという立場を
とりたくなることが多いです。

賛成、反対どちらかについて
ディベートすることが苦手で、

中学校や大学の授業でそれがあると、
「あ~あ。またか」
ってなって意識飛ばしてました。

今思うと、テーマがあんまり興味もてない
内容だったかもしれません。

環境問題とか、学校教育の問題とか
あぶり出せばきりがないようなテーマで、
そもそも私たちが議論する意味は?

ってなるような、ある意味議論しやすい
テーマでやっていました。

このような興味ある・ないということも
議論の好き嫌いにかかわりますが、


やはり同時に中立の立場を取りたいとか、
立場を決める前に前提を疑いたい
とかいうことを考えてしまうので、

それができないもどかしさも感じる
からやっぱり「どちらでもないや」と
思うことになる側面もあります。

私の甘えなのかもしれませんが、
やはりこの「どちらでもない」は
一度考える時間とってみるべきかなと思いました。

キーワード選び

ブログをつくるときに色々勉強するわけですけど、
一番面白い原理だなと思ったのが、
キーワードごとに市場があるということです。

言葉一つ一つに
市場がある…

言葉について考えるとき、
辞書で引いて意味を理解したり、
使い方を習ったりするかと思いますが、

言葉の背後に市場がある、って考えるのは
すごく新しくて刺激的でした。

言葉の可能性が開けてくる
感じがして面白いです。

キーワードを何にするかによって、
集まってくる読者の質とか
考え方とかが定まってくるってことですよね。

それなら当たり前ですが、
みんなブログやれば言葉を真剣に吟味する
ようになるんじゃないかと思ったりします。

で、ここまで書いて思ったのが、


ある意味言葉によって自由に市場を
コントロールすることになるので、

言葉一本で、ものごとを動かすことができる
ところまで究極的にはいきつくし、


マスターしたら世界創造する感覚味わえるんじゃないか
とも思いました。

デジタル世界ですが、天地創造も夢じゃない…

結構飛躍しましたけど、
キーワードで市場を選んで、
その市場をコントロールすることになるので、

言葉そのものがこの世をコントロールする
道具、って古典の中で言われてきたのも
納得できるところがあるかもしれないです。

書く

書く内容、これがよくわからないで
だらだら過ごしてしまいました。

本当に、
インプットしてる中で
いったいぜんたいどう転んだら

アウトプットに変えることができるのか、

この問いはかなり深い部分で、
それをコンテンツにする必要がありますね。

それにしても

本当にどんなことが起こるとアウトプットマシーンに
なるのか、そこだけは楽しみです。

ニッチ

ニッチな分野だけれど、
潜在的なニーズのあるキーワード
でブログを設定して、

なおかつ毎日少しでもいいから
コンテンツ投稿するのを3ヵ月間続けたら、

その市場で検索上位に出てきやすい
と言います。

継続して投稿する難しさ
はありますが、

ニッチジャンルを見つけることって割と
簡単なような気がします。

地域限定の流行り言葉とか

子どもの頃に読んで好きだったけど
あまりみんな読んでなかったような本とか

ちょっとブームが去ってから自分がハマった
アニメや漫画とかをレビューしたりすると
紹介するのも楽しいかなと。

なので、あとは継続して動画なり、記事なりを
投稿できる継続力があるかないかが問題で、

それを習慣化してしまえば
割と集客は簡単かもしれません。

で、

ここで問題になる「潜在的」なニーズ
の見つけ方は先に紹介しましたが、
それらを俯瞰してみると、

意外に時間の蓄積にようなものが
あるのかなあと思いました。

地域で流行ってことはあるていど
広まるのに時間がかかってるはずですし、

子どものころ好きで、今はあまり見ない、聞かない
本は時間積み重なってます。

この時間の蓄積にポイントあてて探すと
みつかる…カモ。

物語を編む

コピーライティングやマーケティングを
学ぶと、テクニックとしてよく言われるのが、

物語の威力を利用しよう、
というものです。

この物語について今日は少し。

物語ることっていつも、
形式としては過去を語り直す、
っていう構成になっています。

それはフィクションの物語を
物語るときも、いつも「すでにそこにある」
話を再構成することが物語化です。

なので、物語は編まれるものであって、
出来事をそのまま描写するわけではありません。

当たり前ですが、
商品ができるまでのいきさつを
紹介してファンになってもらおう、

ということをする場合、
単に製造過程を描写するだけではなくて、
感情豊かに語ってみたり、

なんらかの加工がなされます。

なので、
過去がそのままではなくて再度構成される
ってところにどこまでも可能性を感じます。

いじめられてた経験とか
辛かったこととかが武勇伝と化します。


物語化することって
そんなこともできるんだなあ、と不思議に思うところです。

潜在的ニーズについて

潜在的ニーズについて少し。

普段意識していないけれど、
明るみになると、
そこにあったことに気付く価値について

潜在的ニーズを考える上では
考えてしまうのですが、

これに対して出てくるのは、


そもそも意識していなかったら
意識していないってことで、

既にそこにあるのではなくて、
あるかのように思わされる

つまり、潜在的にそこにあったと
思わせる仕掛があるだけであって、
常に深いところで了解されていたわけではないんじゃないか

っていう考え方もあります。

単に隠されていた、潜在的にあった、
とみなされるだけであって、
意識に登ってないってことは

そもそもないってことなんじゃないかと。

よくある議論と言えばよくある議論
なんだと思います。

じゃあ、具体的にビジネスで
潜在的なニーズを探る、ってときはどうなるのでしょうか。

無ければないで困らないけど、
言われて初めて今まで不便だったことに気付いたり、

ここでは今まで何も疑問に思わなかったこと
を疑問に思ったり、不便を解決する方法が
わかると手をのばしてしまう、なんてことが起こります。

このテクニック的ア部分を知るだけでも
影響力から逃れることができるかもしれません。

インプットが足りない?

インプットばかりしてないで
アウトプットもしなきゃ!とか

行動しないと意味がない!ということは
よく聞きます。そして耳が痛いです。

確かにその通りです。

でも、ぶっちゃけここで前提になってる
インプットをある程度している状態って本当に
できているだろうか?

と、考えると意外にできていないんじゃないかと
思います。

インプットが完了すると
自ずから行動してしまうもの…

そんなふうにいつも思うのですが、

なかなかこういう話は聞かないです。

人間インプットもアウトプットも
いつもしているものです。

この人間である以上、

五感から体験したことによって
インプットされ、

それに基づいて行動します。

要は普段のインプットと
アウトプットの質が問われているわけで、

上手い具合にアウトプットも促されるようなインプット、

あるいは

上手い具合にインプットしたくなるような
アウトプット体験をすることによって、
質は高まっていきます。

では、
ついインプット・アウトプットしたくなるような
ものって何だろう?と考えると

ギャップを利用したものに触れるとき、
結構影響されるなと思います。

その振れ幅に応じて
感情が高ぶったりして

行動促されることが割とありますよね。

じゃあ、この振れ幅はどうやって作ればいいのか
というと、

単純に真反対のもの・ことを並べて
共通点やその違いを抽象化してみつける
というのが手っ取り早いかと思います。

価値を提供すること

以前にも書きましたが、
今まで以上に人はどんなものに
価値を見出すのか

すごく考えるようになりました。

考えてもこれって実験して
はじめて身につくものだから、と書くことを
ためらっていましたが、

どうにも思索がとまらなくなってきたので
書きます(‘ω’)ノ

人は価値があると認めたものには
お金と時間を投資します。

価値が高いと思われるものほど
お金と時間を投入する量が多くなります。

なので単純に価値をたかめられる人ほど
お金も時間も富むことになります。

では、この価値って何だろうと考えた時、

実は「時間」が結構おおきな役割になってるな
と思いました。

極論ですが、この世の中のモノはほとんどすべて
お金がなくても手に入ります。

食べ物だって、ものすっごーーーーく
長い時間かけて自給自足の生活に
こぎつけることができればほとんど

タダで食べ物が手に入る状態つくれますし、

何か物をつくりたいってなっても、
ありとあらゆるタダの材料

を色んなところを渡り歩いて調達して、
つくり上げることが可能です。


この膨大な時間を使って無料で、
しかも自分一人で
得たいものを作ったり、得るよりも

誰かがすでに作ったものや
体験を、お金で買う方がコスパがいいです。

そういう「手っ取り早くすませたい」
という欲求が根っこに潜んでいるからこそ
お金が使われます。

なので、価値があると認められるには、

体験価値とか再現性よりも先に
時間をいかに短縮してあげられるか、

に焦点をあてたら大きな価値を用意
できるのではないでしょうか。