経済的自立の先の自由を求めること

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ほんとこの「自由」ってやつに
対する執着がすごくて、
今まであまり気付かなかったんですが、

振り返ってみると、
やる気出てくる場面ってのは


決まってこの「自由」がチラついた時だったなー
と思います。

受験の時も、
大学で賞与型の奨学金狙ったときも
経済的自立目指してる今も、

拘束される状態からの脱却。

でもこれをモチベーションにしていると
決まって、

「どうせ自由になってもまた嫌なことがあったりして、
不自由さ感じるぜ。」

なんていう囁きが聞こえてきて、
自分はうつろなもの、
あるいはものすごく考えなしに

それに向かって突っ走ってる
浅はかな自分みたいなのを自覚します。

でもこれに対しては、

真の自由が実現できなくても
それは目指してもいいんじゃねって思うように
してます。

平等なんてムリ!って
言うし、確かに無理かもしれませんが、
平等なんて目指されるためのもので

完璧には実現されるものではないので
(いや、これも言ってしまっては目指してることにならない
から言ってはいけないのか?)

とりあえず答えを出すこと、
目指すことのできるゴール
を設定してしまう勇気ってのは
いつの時代も必要で、

同時にそれがだいたい成し遂げられたとしても
その形はまた壊され、新しくつくられる
ってのが分かっててやるのが
大人なのかな、と。

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