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「怒られる」の深さ2

「怒られたことによって
私は○○に成功しました。」

このように怒られたことを
いい思い出のように語る人いますが、

あれは勘違いの元になるので、
避けるようにしています。

とにかく怒られているときは
もうとにかくここからのがれたい

そんな一心で心入れ替える、そんなコンテンツが悩ましい

動詞を考える

名詞ではなく動詞について深く考えると、
結構具体的にそのもの自体を詳しく
分解できるな、と思うようになりました。

なんの話かというと、

ものごと考えるとき、
思考が流れるように展開されるときと

そうでない時の違いがあります。

この違いっていったい何だろう
と思っていたのですが、

やはり動詞の部分を掘っていくと
湧いてくるものがあるなと。

例えば、

毎日職場で電話対応するわけですけど、
この電話って何か考えるより
当たり前ですが、電話に出るという動作を考えることになります。

電話に出る=距離が遠くて話せない
相手と話すこと=本来話せなかったはずの人と話すとは
どういうことか…

というように展開されていくので
考えに行き詰ったときは
動的に考えるといいかもしれません。

「怒られる」の奥深さ

怒られるのが怖い…

いかに怒られないように生きていくか、
これが結構私のテーマになっているんですが、

そんな自分を許す部分がある反面
情けないよな、と思うことがあります。

怒られることにびくびくする人生なんて
情けない…
でもやっぱり怖い…

職場で怒られるのが怖くてストレスになる人も、
強がってるけど実はもう怒られたくない
と感じている人いますよね。

けっこう悩んでる人多いんじゃないか
と思って書きました。

情報発信者は人を扇動するために
弱気な姿勢あまりみせなかったりしますが、
だからこそ一度実験的に弱気発信してみます(^_^;)

今回の話は「怒られる」なので、
怒る側の心理とか、どのような怒り方を
するかといったことは深入りしません。

怒られた側の心理を深堀りし、
怒られて怖がるとはいったいどんな
事態なのか、考えていきます。

だるい日のために

今日は本当にだるかったです。

もうだるすぎてやることなすことすべて
裏目に出たり、細かいミスしてたり、

なんでこんなにダメなんだろう、
今までの人生確かにすべてダメだった⤵

みたいな風になって

まったく仕事が進みませんでした。

でもこの「だるさ」がくるといつも
自分の体の有限性をすごい意識させられます。

こんなふうにしてどんどん体が劣化していくんだろうな

今よりもっと苦しむのかな…

とかとか

こういった姿勢はマイナス思考だ!
と言われることありますが、

この頃は結構前向きな姿勢で
「劣化」とか「有限性」を考えてます。

今まで結構自分のできなささ、
もろさ、体のにぶさに対して嫌悪して
自分を卑下してましたが、

その劣った自分が確かにいるけれど、
そこから卑下するのでなく、
限られた中でどこまでできるかを考えるようになりました。

今までは若さもあってか、
自分はどこまでも飛んでいけるという
謎の幻想に意外にもはまっていたんだなと。

いや、どこまでもいけますよ。

可能性は確かに無限にあります。

でも、この無限性は有限性を自覚して
はじめて際立ち、意味をもちはじめます。

今までは可能性ってのは開けていて、
「いつか自分にも夢を叶える時がくるんだろうな」といった、
遠さのようなものを感じていましたが、

今は自分の「可能性が無限にある」ことが
ぐっと身近なものになった感じです。

生に近い。

じゃあ、自分の資源が有限であることを知ってからは
どう動くのか?と言われたら

資産性の高いこと、一生価値良いままで変わらないような
ことに時間とお金をさくしかないかなと思います。

その見極めが大事ですが、
自分自身の質が高まるとおのずとそういう
資産性高い情報に出会えるかもしれません。

「行動しよう」の因数分解

よく、「立ち止まってないで行動しよう」
と言われます。

この「行動しよう」と促されるこの
行動は何を意味するのか、考えていきます。

とはいってもかなり文脈によって
行動の意味は変わります。

私が職場で言われるのは、
主体的に動いてほしいと思われてるときで、

「悩むよりもすぐにお客さんに確認した方がいい」

とか

「そんなこといちいち聞かずに自分で判断して行動しろ」

とか言われたときです。

やはり相手がいて、
その相手に対しての言葉を投げるん
だなと思いました。

受ける相手のいる行動こそが
ここでの行動です。

しかも、この場合、行動してその影響いかんによって
収益が発生するか否かが決まってしまうこともあるような
行動です。

簡単な行動もあれば、複雑な行動もあり、
よく説教されるとき両方大事みたいなことになりますよね。

その感覚を速いうちから身に付けておくと
周りとの齟齬が無くなり、
仕事がしやすくなるという結論です。

ヒーローは必ず帰還する

文章を書いていて、
締め方、終わり方が分からなくて
困った経験ありませんか?

中盤勢いよく展開できたけれど、
さて、どう文章を終わろうか、
と迷って結局気持ち悪い終わり方になるあれです。

今回は、どうやったら文章を気持ちよく締められる
かを分析してみたいと思います。

まず、よく言われるのは、
はじめに言いたかったことを
もう一度それまでの内容を踏まえて書くことです。

はじめに言いたかったことに戻りつつも、
そのままではなくて、今までの展開をふまえて
はじめに戻るということです。

ちょうど物語に出てくるヒーローは
必ず故郷に帰るか、原点に立ち戻るか、
しているように、文章も「帰還」が必要です。

なので中盤が中身のない内容でしたら、
終わり方も結局ははじめに言ってたことの
繰り返しで、単なる反復運動になります。

ある意味、文章の真ん中は、
文章のはじめに書いていた内容を
いかに凌駕するか。

それによって終わり方が
凄いかどうかが決まるのかもしれません。

終わりをどこに設定するのかに
よりますが、それまでの理論をとにかく
破壊してその上で一段「上がっている」

そんな終わり方が立派な終わりですね。

仕事における秘密について

会社には企業秘密があります。

今私が勤務している会社でしたら、
お金が絡む部分の他に、

設計技術も
機密性が問われます。

秘密をつくっていったい何をしているのか
考えてみます。

例えば会社のホームページに、
製品リリース情報を載せることが
あるかと思いますが、

ここで製品の細かい誕生のエピソード
だとか、ち密な設計をしたとか、
そういった「過程」の部分はネットで紹介されません。

主な理由はパクられたら困るから、
無駄な情報だから、
求められていないと思うから、

といった理由です。

正直全部公開せずとも、
細かい設計のアイデアとかは
逆に一部だけでも表に出したらいい気がしますが。

で、そこから、
「全部知りたい人はこちらへ~」の文言で
高単価の情報商材を「設計」というテーマで売るのが無難かと。

とにかく、

秘密というのは古今東西
様々なところで発生してきます。

以上を踏まえて秘密とは何か考えると、

渇望されうる情報こそが秘密でありながらも
その限定的な性格がからむと考えられます。

秘密を共有された側
からすれば大きな学びになるかもしれません。


仕事と身体感覚

今日、仕事でやりがい感じたことって何?

と聞かれて、現場作業で製品を完成させたとき
と応えていた自分にびっくりしました。

やっぱりやりがいとか達成感とかって
身体感覚と密接に繋がってるんだなあ
と思いました。

でも、なかなか身体感覚に気を配れない
というのが正直なところで、

仕事がだるいとか、
やる意味がわからないとか、
労働はもう嫌だーとか思うことって

身体感覚的に満足すること
やってあげると何とかなるんじゃないかという
推測です。

じゃあ、さっそく日頃使っている言葉に
潜む身体について、

忙しくなったりすると必ず心の中で叫ぶ
あのセリフ、

「手におえないよ~」

について考えてみたいと思います。

そもそも、仕事ってまずは「手」なんだな
と思いますよね。

仕事って「手」でやるものだから、

「手」を超えるものはもうキャパオーバーで
やりたくない。

だから、ここで「手」のみならず「全身」でも
「足」でも使えば楽になるかもしれません。

その「手」におえない案件を
「足蹴」にしてみるとか…

もちろん「足蹴」にすることが
できないので、苦しんでいるわけですが、

そういった身体性とともに
仕事をして日々生活する感覚を
実感してみると

自分がその仕事に対して
どのような態度で挑んでいるか
分かりやすくなるかと思います。

それにしても、
仕事が「手」で行われる理由ってやっぱり
「丁寧さ」の占めるウエイトが大きいからでしょうか、

商品について今一度

だいたい商品というと
お金が発生します。

ではどんな仕方でお金は発生する
のかというと、
欲しいものと交換したいときに発生します。

「交換」ということで言えば、
お金が発生しない例もありますが、

これは家族や知人、友人あるいは信頼できる人の間で
「交換」が成立する場合です。

お金が発生するときは
なんの付き合いもない赤の他人が
自分の好きなもの、欲しいものをもっていて

それを交換したいとき、
あとは物々交換することを考えると
相手との距離が遠く、今ずぐに取引できないとき

いずれも、あるていど「距離」が
発生する交換の場合にお金は有効です。

そうであれば、
商品取引にはあるていど
「距離」が意識されているということになります。

商品にはほとんどいつも
お金が発生するとすれば、

商品はその距離を縮める役割
を持っているのではないでしょうか。

現に極端な例でしたら、
有名なインフルエンサーの行っているセミナーや

講演会などがあれば、
普通はそんな人と交われなかったのに、
お金で席を購入して

そのインフルエンサーと関わることができたり、
とにかく距離を縮めてくれるのが

商品でありお金だなと思いました。

なので、どんな商品売ろうかな?

とか考えるのは思っている以上に
色々考えることがあるって話でした。

大学で何を学ぶか決まってないあなたへ

情報発信ビジネスにおいては、
感情的価値と機能的価値の両方をまぜて発信する
必要があります。

その機能的価値をつくる中で、
やらなきゃならないのは、
専門の知識を学んで、

それを「視点」にして感情的価値とまぜることです。

でも、何か学問を学ぶことは必須として、
細かい専門知識をガッツリ引っ張って自分の文章におろすのってなんだか
他人の下着を自分の下着と重ねる感じがして

なんだか気持ち悪い…

そもそも書いていてスムーズさが乏しくなりますよね。

もしまだ掛け合わせる学問が決まっていないのであれば
哲学をおすすめします。

哲学は学問領域として成立していて、
まとまった体系としての側面もある反面、

「哲学する」という、思考の営みとしての側面もあります。

なので、

ぶっちゃけ紙とペン一本で自分の体系を
作ることができるというお手軽さがあります。

でも自分の体系なんてそもそも機能的価値として、
根拠として成り立つのか、という疑問が聞こえてきそうですが、

やってみればわかりますが、
確かに「根拠」として
成り立っているのが分かります。

日頃気付きにくいことに気付くだけと言えばそれだけなので。

ただ、こう言った道具的な扱い安さがある反面、
哲学的な思考法はある程度慣れていないと難しいので、

色々と哲学的な議論や、
語りをインプットして自分の思考法として
身につけてしまう必要があります。

ある程度訓練する必要ありですが、

掴めると普段見ている世界が一変しますし、
どこにいてもコンテンツ生み出せるようになります。

哲学おすすめです。