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HPを何とかしたい

お盆休みにはこのHPなんとか
生まれ変わらせたい。

です。

ほんと雑記ブログにしても何に
しても難しいですね。

「私」と「あなた」

いやーーー

ほんと私は仕事ができません。

これまで生きてきた中でやらかしてきた
色んなことがフラッシュバックして

今回ミスって怒られたことだけじゃないな
ってなってすごくなえています。

でもほんとにそんな私がここまで
恵まれた環境で、恵まれた人たちに逢えたのは

ひとえに私の力…

では決してないな、と思っています。

色んな人に支えられて
生きていられるので
ほんと奇跡的だなと。

今この「私」が「私」をやっているって
事に対してすっごく驚くことってありませんか?

たぶんその驚きは
別に私が「私」でなくてもよかったのに
何故だか分からないけれど「私」をやれている
事に対する驚きなんだと思います。

この驚きと、あと不可思議さに触れた時、
自然と人は「あなた」に対して頭を垂れるのだと思います。

ネットDRMに対する違和感と期待

いよいよ本格的にネットDRMと向き合いたい
ので、思いのたけを綴って、
これに対する考えを整理していきたいと思います。

まず、このネット上で行うDRMの手法を知った時、
やはり違和感が先に来ました。

個人が売れる商品が限られている印象があり、
「情報商材」というなかなか原価が分からない
商品を売る方法が主流だったことに対してです。

「何でも個人で自動で売れるわけじゃないんだ…」と
少しがっかりした覚えがあります。

How to を売るのかぁ~

と、一番苦手な売りものだなって
思ったのは事実です。

どうして苦手だったかと言うと、
そんなHow to に対して、あまりいいイメージ
をもっていなかったからです。

小手先のテクニックを知って、使って
それで満足する世界に
あまり奥行きとか深みがなさそうに見えて

なかなか前に踏み出せない、
という状況が続きます。

多分、これはDRMの仕組みをネット上で
作る人があまりいない理由の一つかなと
思います。

まあ、要するに、
無料でも出ているような
情報を高単価で売るなんてうさんくさい

でも、憧れのメンターみたいに
なりたい、

そんな葛藤にもだえているということです。


何かを売るっていうのは、
人に商品の魅力を伝えて、
商品を使ったり、味わったり、経験
してもらって、いい思いをしてもらうことが目的です。

価値が提供できていれば大丈夫です。

そこではたまたまお金と引き換えに
なっているってだけです。

なので、人に魅力を伝えて
一緒にいい思いするのって
うさんくさいどころかいいものなので

よさそうな情報商材なら
買ってみても、売ってみても何ら問題はない

どころかむしろ価値が提供されて、
それを味わえるわけです。

そもそも、一般的な教育現場では
教えることと交換でお金を得ているわけですが、

いっぱしの教育機関なら
イメージが良くて、それ以外はうさんくさい
っていうのはよく考えると分からないですよね。

なのでうさんくさくない、
信頼されるような教育を
すれば問題ないのでこのあたりはDRMで期待すべき
ところだと思います。

欲張り

あれも欲しいし、
あれもやりたいし、
あれも

あんなの欲しい

商品開発で、
あんなモノ欲しいなぁって思うことあると思いますが、
そのとき商標だとかいろいろめんどそうな

法律や裁判にあたりそうで
手に負えなさそうな

でも作りたい、欲しいという感情には
あらがえない…

と言いたい。

失敗者の気持ち

職場ではエゴが強くて傲慢で
自分の思うようにやるけれど結局
結果が出せない、

不器用だったり、
どんくさかったり

なぜかわかないけれど
ほとんどすべてちょっとずつ
ずれのようなものが発生して、

小さな仕事ならいいけれど
やっぱり大きな仕事とかでは
どうしてもその失敗が大きく出て

結局あいつにはもう任せられない
なんてことになる。

がっかり。

なんでこんなに仕事ができないんだろう
私…

なんて女々しい感情を抱きながら
苦しむわけですが、

よくよく観察すると、
仕事が失敗するように
願っている自分がいることに気付きました。

痛めつけられている自分がかわいそうで
そんな自分がかわいいから
痛めつけられるように失敗する、、、

そんな腐ったS的な感情も
出てきますが、

いやいやもっと根源的なところでは

甘えがあって、

結局私は自分のやりたいように
やったことはなくって

全部人の言っていることを
若干ずらして実行しているだけです。

こう思う、でもあの人が反対したから
反対した人の意見を実行しました→あら、失敗しました
っていう展開を暗黙裡に臨んでしまっているから

だから失敗する…

こういうとなんだか自虐的で、
他責にしている感じもして、
辛酸をなめる下僕「構造」そのまんなのような。


自由発言が撤回された

今日、営業部長と
お昼に話しました。

色んな営業活動や、マネジメント
できるけれど、そのせいで忙しくて
結局自由がなくて辛い…

みたいなことを愚痴ってきました。

いや、
自分の立場は自由で、楽だから
さあ、みんなも~

なんてこと言ってた人がなんてこと
言うんだ、と思いましたけど。

やっぱり現実はそうですよね。

そうとも限らない人、場合ももちろんあると
思いますけど、ひとまずやっぱり
そういうことです。

マネジメントできる人

マネジメントができる人ほど
尊敬され、皆から必要とされる
存在になるっていいますけど、

それは確かにそうだろうなと
思います。

ですが、なかなか尊敬を集めると言っても、
たぶん本人はただただ忙しくて
大変であんまりそういうこと考えられないんだろう
と思います。

どう考えても大変だから

どう考えても楽じゃないから

結局引退はだれしもすると思うし、
引退しても続けることって何だろう。

自由?

営業部長は仕切りに自分のことを自由だ自由だ
と言うのですが、

あなたほど不自由そうな人はいません、って
返してみたいです。

よるべがない

今オタク向けの商品開発に必死なので
必然的にそういう方面の話になってしまいますが、
勘弁してください。

今日は、オタクの心はやっぱり寄る辺ない
ものだな~としみじみ思ったので、そのことについてです。

昨日、コンテンツに触れて、
感動した、共感した、という風になることについて
書きました。

共感することは大事だし、
戦略的に取り入れることは
有効だし、メリットが多いです。

で、この共感を誘うコンテンツって
ものにつられて、

こころ温まる経験をしてしまったわけですが、


これはもう誰にも理解してもらえないはずの
感情なのに、寄り添ってもらえている感じがしたから
こんなにも共感したのかなと。

今回はオタク心を少しだけ
理解してもらえた感じがして、

ほっ、
と落ち着く場所みたいなのが確保された感じがしました。

だからこそ気付いたことがあって、

共感してもらえることを嬉しいと思うのって、
結局は今までのオタク心はよるべないものだったから
なんじゃないかと。

対象に実態が無い中で、
暗中模索で憧れのキャラに欲望してしまう、
このよるべない気持ちとか、

どこまでも欲望するしかなくて
どこにいくのか分からないこの気持ちが
よせられる場所を見つけた感じ。

もうね、
ぜったい作詞作曲者はこんなこと思ってないと
思うんですけど、

ナユタン星人さんの「エイリアンエイリアン」は
異種との交流を描いていて、
それがまあ、なんというか

救われないオタクたちの秘めた思い
を歌っているように聞こえてしまいました(笑)。

本来そのことを表現しているわけではないのに
多層的な意味を帯びてしまう作品
ってやつですね。