文章力を磨こうとしているのも、
本を読んで思考を鍛えているのも、
すべて遊牧民(ノマド)
でいられるための強力なスキルだからです。
悠々自適さを身に付けるために必要だから
今奮闘してるとも言えます。
ですが、この属さない生き方というのはいったい
何なのでしょうか。
属している、属していないという感覚は
どこに由来しているのか、考えてみたら
分からないなと。
最適な場所、最適な環境をいつでも選択できる、
そんな生き方は悠々自適だなと思います。
縛られて自由がない感じがすると、
「属している」感覚があります。
最適なところに行きたいけど、
社会的なしがらみや、生活できない事情が
邪魔してきて辛いというあの感覚です。
自分自身が属しているところと
共にあらなければならないという
義務感が「もう無理」ってなります。
かつてアカデミズムの場(大学)にいたわけですけど、
そこでは自分が何の専門家で誰それ先生のところで
学んでいて、という属性が意外に問われる場面がありまして、
これを自己紹介の中で伝えるのが結構辛かったです。
なぜって、これといって自分の専門について語れることがあるか
というと疑問なので、うしろめたさいっぱいになっていたからです。
いつも逃げたい逃げたい思いながらの
自己紹介タイムになるのがオチでした。
正直こういう「特に何も言えない」
という姿勢はよくないですし、なんとか
はっきり軸を持つべきだったと後悔してますが、
将来的にずっとその認識持たれる中で
で自己紹介しつづけるのは辛いなと思ってます。
ただ、辛い事ばかりでなく、所属している状態では
何かをするときに役に立ちます。
どこの誰かが分かっていると人は信頼するので、
自己紹介をして、オファーを出したら
自分がやってほしいことを行ってくれるようになります。
その意味で所属を明らかにすることは
社会的に重要で、
むしろ勝手に決まってくるものです。
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