歓待について再び

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うまくいくかどうか知りませんが、
また歓待について考えたので書きます。

まず、なぜ敵かもしれない、
自分を壊しに来るかもしれない
相手を迎え入れる気になるのか

まったくもってナゾであります。

いつも同じ人と同じような
会話をすることが私の理想ですが、
ビジネスする上ではやっぱりそうもいかなくて、

ぐいっと輪の中に入り込む
頑張りも時には必要です。

特に書くことないけど
レポート書かなきゃならなかったり、

お客さんから依頼きている
の無視できなかったり、

えいやと入ってしまえばいいとは
言われますが、入り方わかんないし、

もうこれ以上文章が出てこない
ということになって、

本当にもうコミュ障は生きづらいです。

だって自分が壊されるかもしれないんですよ…

それなのに凄い人は相手と直接話したり、
そうでなくても長文書いてメッセージ性高い
コンテンツつくったり。

なかなかやっぱりできるものではないかと
思いながら、

どうして他者を迎え入れられるのか。

結果、迎え入れないといっても
一旦は相手の話を聞いたり、
自分がオープンになることあると思います。

で、考えてみましたけど、やっぱり
自信がないけど自信がある状態にいる
からそれができるんだろうなと。

覚悟が決まるということは、
わからなさがわかる、
何が出てくるかわからないけれど

それがわかる自信からくるのではないかと
思いました。

と、こう考えても会いたくない人に遭遇する
恐怖はつきまといますけどね。

とにかくたまに書くきにならなくなる
ときはこういうビビりになっている
時で、辛いときであることご了承ください。

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