リアルについてちょっと考察

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ものごとがリアルだとか、
現実味を帯びてるな、って感じるとき。

それはいったいどういう事態なのか考えてみたいと思います。

リアルな身体感覚と人間味

これはどう考えても「身体感覚」がどれだけ
ともなっているかによって
「現実味がある」「現実味がない」が決まってますよね。

実際の身体感覚もそうですが、
胸がドキドキする、とか
冷や汗が出る、とか

そういうことってあるかと思いますが、
実際このドキドキとかヒヤッと感って
現実味ありますよね。

しかも文章術学んでいる人は
分かると思いますが、
こういう身体的な表現を伝えることで文章が「リアル」になります。

さらに、「身を入れる」って言葉もあるように
自分の身体的な感覚を投じることによって
何かに集中して取り組めるようになったりします。

なので、「現実味」のあること
と生々しい身体感覚というのは重なるものです。

ところで、
これから世の中自働化が進んで
どんどん機械におまかせしていくとなると、

絶対にこの「現実味」を求める声が
出てくると思います。というか
もう出てますよね、たぶん。

機械とか自働化とかAIとか言うときの
あの冷たい感覚とは反対のアッツアツの義理人情みたいな
ものが必ず浮き上がってくるでしょう。

人間味こそが物語を生み、感動を生み、
前に進む力を生むので
やはり人間味を帯びたリアルさが大事だという主張です。

この義理人情を強調するときに同時に
出てくるのが、人間味ある方が「正義」
だという主張かなと。

ただ、ここでは「正義」や「正しさ」については
あまり深く語れないのでまたの機会にしておきます(^_^;)

ここで、「人間味」という言葉が出てきましたが、
これも身体感覚とリアルについて考えていくと
勝手に湧いてくるワードですね。

現実味と人間味があいまって
初めて生き生きとした感覚がうまれます。

私が勤めております会社の営業マンが、

人とのナマのつながりを大事にしていきたい…

なんてことを言ってますが、

これは直にお客さんに会って、
会話が生々しく生成してくるあの躍動感を思っての
セリフですね。

確かにこのような生(ナマ)のつながりは
機械化が進む今では注目されますし、
アナログなお付き合いが今後はもっと重視されると思います。

でも、でもですよ…

「機械的」、なはずなのにリアルな人間味を感じるもの
って実はあるんじゃないかとこのごろ思うんです。

「動き」を遠目に見てみよう

これは特にビジネスとか、経済、社会の変動を学ぶと、
なんとなく感じることなのですが、

機械的につくられたはずの仕組みが
動いている、というそのことそのものが
なんだか生き生きとしているように感じられます。

機械や、自動化した仕組みを総体的に、
見てみるとわかるのですが、

上がったり下がったり、うねうねと
変動しているところが
「何か生きているぞ」という感覚を生みます。

何でこんな風にみえるのか考えてみました。

お金の流れとか物流とか自働化って、
結局人間が必ず関わっていること
だから、とも言えますが

「動き」そのものに「人間味」を見るから
じゃないかと思います。

「動く」ということ自体が
「人間味」というところと密接にかかわっていて、

逆に、人間味あることとかリアルさって
ものすごく単純なところまで分解すると、
単なる「動き」なのかもなーと思いました。

そこまで分解してしまうと元も子もないですが、


結局この「動き」に魅せられて
人は行動するので「動き」をうまく使えば
ビジネス上手くいくんじゃないですかね。

「動き」の一つ一つをもう一度見てみると、
それぞれの仕組みがうまいこと連動して
次から次の工程へとパスを回しています。

このパス回しの中で、参加している人にどれだけ
身を入れさせるかがポイントになってくるんだと思います。

たとえ機械的な仕組みだとしても、
少しだけ遠目にみてみることで

リアルな動きとして見えてきて、新たな
発見があるかもしれません。

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