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闘争心とともに

闘争心ってわくわくしてくるもの
だなと思います。

古代中国の武将が面白い軍略を編み出してしまった
自分にワクワクするように、

仕事で、あるいはビジネス全般において
あっと驚くような戦略を編み出すと
周りが驚いてくれる様子が浮かんだりして

それがワクワクのもとになっていたりします。

もっとワクワクしたいです。

でもこのわくわくは
適当に打ち上げたものからではなくて、
しっかり型にはまったものと

新しいものとかカチッとはまったことで
湧いてくるものなので

道筋がよくわからないけれど
なぜか最終的なゴールは見えているという
あれなんかは闘争心からくるワクワク感の

みなもと的なものだなと思います。

話それますが、
水を得た魚のようになるわけなので、
環境って大きいなと思います。

コチラがコントロールしている

完全に厨二病的な発想で書いていくので、
苦手な人はこの先読まれないことをおすすめ
します。

よく会社の経営陣が、自分は色んなことをコントロールできて
自分は自分の会社を自由にできる

けれど社員は社員だから自分の下で働いて
自由はないということを言ったり、
表面下で、あるいは潜在的に思っていたりします。


でもこれは本当でしょうか。

社員は経営者をコントロールできます。

どういうことかというと、
駄々をこねて「これやりたくないです」
と言ったら誰もはたらかない

だからこれはまずいと経営者側が行って、

やりがい搾取

今日、

営業部長と色々話しまして
色々気付きがあったので書いていきます。

・やっぱりどこまでもやりがい搾取
・素直に大変だから助けてと言えばいいものを
「自発的に動いてくれない、自発的に動ける人になってほしい」
という言葉でこちらに非があるような言い方になっている。
極めつけは自分でマネジメントする方が楽だということを
主張してこちらに面倒な仕事をやらせようとしているのが
うっすら見える。

ああああああ
なんかやっぱ否定的になるってつらいな

でもそう見えてしまうんだよな

遠くへ行きたければ他者と手を取り合う必要がある?

確かに、より遠くへ、より高いところへ
行こうと思ったら、一人の力では
どうにもならないこともあります。

ですが、やはり個人の力を強くするために、
個人的な修練というか、個人的な努力というのも
必ず必要になってきます。

要は個の力も集の力も大事っていう
話に落ち着くのですが、

でもやっぱり個の力をまずは強くする
ことにこだわりたいと思います。

まずは個の力を鍛えて、
その後で集の力に切り替えた時に
大きな結果がのこせるのわけです。

いや、まあどっちが先とかもあんまりなくて、
やっぱり両方同時に大事だなっていう
気もしてきました。

ちなみに、皆んなで力を合わせてやっていくんだ
ふぉー!ってなってる集団見ると私も
ちょっと冷めてしまうタイプなのですが、

でもああいうのに憧れるところもあるのは
確かです。

いっそああやって舞い上がって
身も心もみんなとつながる感覚って
味わったことないから、

でもきっと大事なんだろうなとも
思うので、「憧れ」として
写るのは確かです。

いや、結構みんな違和感は感じている
のかもしれません。

中高でクラス活動するときなんか
とりあえず皆んなと仲良くしておくのが
先生たちや、周りの大人から評価もらえるから
取り敢えずそうしとこ

ってなってたよなー

なので私たち世代にとっては、
他者と手を取り合って何かを
するのは「憧れ」の状態として
あるにとどまっているんじゃないかと思います。

実際に一丸となってチームプレイしている
人達ってそういうこと一言も
言わないんじゃないかと思います。

ただ淡々とやるべきことはなにか
おさらいし合ったり、お互いがどう動くか
打合せするだけじゃないかな、とも思いました。

皆んな一丸となろう、とか
一つになろう、ってのは
やっぱり今そうなってなくて

目指されるべき「憧れ」だから
殊更に叫ばれるわけです。

薄々そういうことが分かっていて、
でもそこらへんが言語化できなくて、
とりあえず一歩引いたところから斜に構えるか

いっそあっけらかーんと
皆んなと仲良く共同仕事に取り組むか

どちらかになっていたなと
今になって思います。

責められてる感じがするっ!

今日、あれやっといて、これやっといて
ってまた上から目線で先輩に言われ、
反抗心なるものが去来しました。

指示を受けるのは当たり前なんですけど、
でもなんでこんなに一つ一つの指示が
刃のように突き刺さるのかよく分かりません。

その指示が雑用に近ければ近いほど
心の乱れがスゴイんです。

ようはあごで使われる感じがいやなのかな?

あらかじめ言われる前にやっておけば
気分害することもなくなるのかもしれないですね。

そこは気付きませんでした!って
素直に受け止められたりするのかな。

重たい本

とにかく

本が重たいです。

重たい本を買うようにしていました。
読書の妨げになるんじゃないか、という用な…

全力で休む

今日の午後、読書に疲れて

昼寝をしました。

そしたら一気に脱力できて、

久しぶりにしっかり休んだ感じがしました。

それと同時に、全てをゆだねてもいいや~

なんて気持ちになって、体も心も休まる時間でした。

なんでゆだねてもいいや、と思えた

かというと、私が「おおいなる謎」って呼んでる

やつの流れが来たからです。

この「おおいなる謎」はアレですよ、アレ

生まれて死にゆくこのわけのわからなさ、

なんで今ここにこうしているのかさっぱりわからん

けど私を存在させている宇宙的な流れに乗る、というあれです。

やっぱりこの宇宙的な体感がともなった

お休みタイムほど全力で休める時はないですね。

商品よりプレゼントの流れ

商品よりも贈与のプレゼントの方がいいんだ、

そこまでは言ってないけれど
なんだかそんな流れになってきてるので

逆の見方も挑戦したいと思えます。

このりんごはとっても凄いってことを
いうとうまし

今日は

もうこの時間帯になると、
眠くなります。

今日はこれまで。

唯一無二の贈り物

昨日の続きです。

観るアニメを選ぶにもこだわりがある
って話でした。

自分宛のメッセージを帯びた作品なら
観る気がする、ってところまで行って、
ビジネスのアイデアになればなあ~なんて書いて終わりました。

もう少しこの「自分にしか分からない、自分宛のメッセージ」
を分解していきたいと思います。

他のだれも気付いていないけれど、
自分には分かる、聞こえる、見える…

そんな作品や商品が世の中にはあります。

何故「他のだれも気付いていない」なんて
言えるのかというと、

偶然それに出会ったからです。

例えば、海岸沿いに並べられたバランス ロック
なんかを一人でみつけたら、
なんだか自分宛のメッセージに感じられて、

その石ころに対して
なんか施してやりたいなんて思いませんか?

あるいはその周辺に同じような
面白い石ころ置いてみるとか

自分に宛てに発している「意図」ってもの
が迫ってきて、それに応えてしまう感じです。

偶然見つけたってところですね。
そこがミソです。


思いがけず、思いもよらないところで
ひょんなものを見つけたっていうような

意外な展開だからこそ多くの人は知らない、
自分にしか分からない、という予感を強めます。

なので、「他の誰も知らない」っていう
状況を研究して、

商品オファーに応用すれば
独自の価値ってのを認めてもらえるんじゃないかと
思うわけです。