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隠しと抽象化

あまりビジネス的なこととは
関係ないかもしれませんが、

隠しと抽象化は重なるところがあるという
話をします。

いつも使っているパスワードを
変更しようかなと思ったのが
きっかっけです。

誰にも分られないようにする
ために、

パスワードって
抽象化されたワードを使いがちだな
と思いました。

「隠す」ために自分の好きな
言葉を抽象化する。

隠したい言葉を抽象化された
言葉で「覆う」ことが
ここでは行われています。

抽象化はよくフレームワークなど
で行われる思考法ですが、

実はこのように、具体性を
「隠す」というはたらきも持っている
というのは一考に値するかもしれません。


「弱さ」の発見

ほんとーに私は
何もできないんだなと
自覚しました。

いきなり何を言いだすのか
という話ですが、

今日は自分がいかに「弱い」かが分かって、
逆に「強く」なったという話をします。

私たちは自分の弱さを
隠すように、
自分が劣った、無力な存在であることを

見ないように生きています。

なので、ちょっと思ったより
できないと、かんしゃく起こしたり、
自分に対して怒ったり、卑屈になったりします。

でも、今回経験したのは
こういった感情が湧いてこない、

なんだか突き抜けた
「弱さ」を自覚した体験でした。

会社からの帰りの電車やバスで
いつもなにげなく一日を振り返りますが、

自分のできなかったことを
反省することが多いです。

今日もそんな反省がはじまったのですが、
新たな問いが沸き起こってきました。

できなかったことに対して
「あーなんでまたできなかったんだろう」
って自分の弱さを自覚するとともに、

自分はそもそも本来そんなにすごい
存在なのか?

と、ふと疑問に思いました。

この身体は有限だし、
いつかは無くなるもので、
自分でコントロールできるのは一部でしかありません。

さらに言うと、自分には人生を
自由にすることはできなくって、
絶対どこかで不自由が発生します。

人をコントロールする力もないし、
自然の営みを自分の好きなように動かすことも
できない。

人間にできることって
本当に限られていて、
大きな視野で見たら本当にちっぽけな存在です。

この、
まったく言い訳の余地がない程
完全な無力を自覚しました。

でもそこから
この完膚なきまでたたきつぶされて、

なにもできないことを自覚した
新鮮さがおしよせてきました。

逆に今までこんなに自分は
できる存在と思い込んでいたのか!
という驚きもありました。

一切が無力
であるがゆえに新しいことを

学ぼうという姿勢がおのずと
でてきます。

この謙虚な姿勢を培えたこと、

これが「強さ」になる、
と思ってます。

マカロンに学ぶブランディング

先日マカロンを食べました。

その時の気づきを共有します。

マカロンはとっても甘くて、
正直好き好んで食べるお菓子じゃありません。

あまり自分で買って食べることは
しないお菓子です。

でもホワイトデーという
ことでもらったので仕方なく食べました。

すると、意外にも
いつもよりおいしく感じられました。(^^♪

なんでかって考えてみると、
味がよかったというより、

それを食べている自分が
気に入った、ということろが
大きいです。

ハンバーガーとか焼きそばを
食べている自分より、

マカロン食べてる自分の方が
ハイセンスな自分になれていて
好き…

パステルカラーに彩られて
かわいくておしゃれな、
並べて写真撮りたくなるような

そんなお菓子を食べている自分
はなんだか特別…

と、食べているときは
ここまで過剰にイメージ膨らませたわけでは
ありませんが、

だいたいこんなような
気分で食べてました。

味としてはそれほど食べたいと
思わないものでも、

「どんな理想の自分になれるか」

これを買い手にイメージさせたら
オッケーということです。

これがいわゆるブランディングの
原理ですが、

今回具体的に体験させていただいたので
つい書いてしまいました。

以上。

構えの美学

最近アニメのオープニングを見て高揚感
に浸ってます。

特に剣裁きがかっこよく映されてる
オープニングとかキレのある
動きで作画がすぐれているのを見ると

たまらないですね。

で、気づいたことがありまして、
剣振るところかっこいいと思ってましたけど
剣振るところだけじゃなくて

剣を振る前の「静止」がうまく
演出されているから
振りかざす時かっこよく映ってるなと。

キレは
その前の「静止」あるいは「構え」と
言った方がいいのかもしれませんが、

この「構え」がいかに
整っているかによるんだなと
思いました。

剣を振った後の「静止」も
意味あります。

とにかく、鋭い太刀裁きの前後に
くる止まっている演出が大事です。

では、この前後の止まっている
状態は何を生み出しているかというと、
剣を振った後の余韻をつくり出しています。

ここらへんの演出で
高揚感を誘う演出かどうかが
決まると思いました。

もちろん素人考えの
演出理論ですが、

この「動き」と「静止」の
メリハリによって効果を生み出す、
ということは日常的に起こる現象だなと思っています。

例えば、それまで
目立った立場でない、裏方でひっそり
作業するのがメインだった人が

ある日、鋭いアイデア出してきて
急に存在感出してきたり、

そういう人が発言の場を与えられて
ぐっとくること言ったり、

そういった、
ギャップの応用とも
言えるんですけど、

「動き」と「静止」をうまくつかって
人を動かすことを意識してみると
面白いかもしれません。

興味ない→興味ある

全くビジネス関係ない事に夢中になってたら
気づけば日付が変わろうとしていました。

急いで書きます。

今日は興味がない分野に興味を持つ方法
というテーマでいきます。

興味を持ったら一途に
追いかけるのに、

興味のない分野やら、人やら
になると途端にやる気がうせます。

仕事でもそれが顕著らしくて、
単純作業は嬉々としてするけど、

いざお客さんとちょっと複雑な
打合せがはじまるとなると

目に見えて気力を失っていくらしいです。
(自分では気づいてませんけど…)

興味ないことに
興味を持つのは難しいなと思います。

でも、私にはひとつ、
興味なかったけれど
興味持つようになった分野があります。

まあ、それはビジネスの原理について
考えて学ぶことなんですけど

じゃあいったいどうしていきなり
夜中まで勉強していたくなるほど

この分野が好きになったのか。

いままでビジネスと言うと、目標達成することや、
結果を出すことにのみ特化して展開される
分野だと思っていたけれど、

そうじゃなくて、
もっと人間の原理的で本質的な
ところとつながっていると知ったからです。

それまで、「これはこういうもの」
と思っていたけれど興味持ったり、好きになるのは
視点が変わったからです。

一度植え付けた固定観念が
壊されたところで
人は興味持つようになります。

なので、
もっといろんな事象について
因数分解して、

色んな見方をして
もともと何だったけ?となるまで
ごちゃごちゃにして、

またもとの固定観念に戻って見直してみると、
今まで見えてこなかった良さが見えてきて
興味が湧いてくるかもしれません。

気配り

気配りについて。

気を配るって本当に大変だなと
思います。

けっこう自分勝手、とか
人の目線に立って考えろ、
とか職場でよく注意されます。

注意される最たる理由が
「気を配れないから」
だと思ってます。

この気を配る、配れないの
違いがよく分からなくて
七転八倒してるわけですが、

この頃なんとなく掴めてきました。

職場での気配りについて、

下っ端は下手すると経営者より
気配りが必要です。

うまく、スムーズに仕事を流す
ためにあらゆるものごとに
気を遣い、気を配り、します。

この気配りが必要なことに気づいたとき、
すごく嫌な気分になりました。

だって毎日毎時間毎秒
気を配ってないといけないなんて

どんだけ神経使うんだ、って思って
ものすごく嫌になりました。

でも、そもそもなんでこんなにも
他人のために気を配るのが嫌になったのか
考えてみました。

色んな理由があるとは
思いますが、

ひとつには
「さりげなさ」がこの時点で
なくなっているからではないかな、と。

気配りって、
やっぱり言われてやるんじゃなくて、

なんとなく
必要とされてそうだから
そうしてしまった

という時に味わいをもつ
んじゃないかなと思います。

あたりまえと言えばあたりまえですが、
「こういう気配りができないと
だめ」なんて教わることほど

興がさめることはないかなと。

贈りものと返報性と人間と

人は贈りものをもらったら、
もらった分だけお返ししようとします。

人間に染みついた、
「贈りものをされたらお返ししないと
なんか気持ち悪い」

というこの習性は行動心理学の領域で
よく取り上げられ、「返報性の法則」
といわれています。

この返報性の法則がはたらく
理由ってなんだろう、と考えてみたので、
今からしばしお付き合いください。

贈りもの

まず、贈りもの、ギフトとは何でしょうか。

贈ものはものでなくても
才能や機能的なものなど、
目に見えないものでもいいです。

とにかく自分が「所有」
していいものを
「他者」からもらうこと。

これが贈りものをもらう
ということです。

ここで大事なのは、
常に「他者」から受け取った
ものであるというところです。

自分のものではない
どこか異質なものを
受け取ったということになります。

完全に自分のものとは
言えないものなので人はまた
もらったものを「他者」へ返そうとします。

どこからともなく、
贈られてきて、
どこか異質なものとして捉えてしまったら、

返したくなるのは
うなずけます。


人間と返報性

で、ここで、はたと気づくのは、

そういえば私たち
人間そのものも自分で意図して
生まれてきたというより、

ふいに命が贈られてきた存在…
とも言えるんじゃないかな、と。

なぜ生きて、なぜ死ぬのか。
なぜ人間やってるのか。

圧倒的に分からないことのなかで生きているので、
自分でない「他者」
から存在することを任されている…

そんな感覚が、ふとした拍子に飛来することがあります。

人間そのものも
ギフト的な存在かもしれない
という展開になりましたが、

ここでさらに思うのは、
私たちもまた
存在を贈ってきた「他者」に対して

何かお返ししようとしているのではないか
ということです。

みんな、自分がこれからどうなりたいとか、
理想の未来とか希望する姿を、
自分がどうしたいかを軸にして思い浮かべますが、

そうじゃなくて、
存在を贈ってきた
なにか「他者」めいたものに対して

なにができるか
絶えず問われて、それに応えようとしている
んじゃないかとも思うわけです。

もっぱら、自分がどういう未来に生きて、
どういう目標を実現するか、
自分中心で未来を語りがちですが、

逆に何ができるかを
存在の側から問われているんじゃないか
とも考えれるのです。

以上、ギフトの原理をみてきましたが、
意外と人間の本質的な
ところとつながってましたね。




思考は断片的

思考はつくづく断片的なものだなと
思います。

いったい何がどうなって思考が文章になるのか
ふと疑問に思うことがあります。

今日はこの思考の断片的なところについて
なんとなく考えてみました。

まず、思考が断片的なのは
感情に左右される、
感情の浮き沈みに左右されるところが

あるからなのではないかと
思います。

ふっと浮上してきては
また沈むのは

わたしたちの感情と
結びついているからかもしれません。

思考というと、
論理的で、整合性のとれた、意識の
流れだと思われがちですが、

実は感情とつかずはなれず
の関係なのだと思うときがあります。

現に、人を動かす
マーケティングの本などには

感情で人は動いて、
根拠で人は信用するという

鉄則があるわけですが、

まったくその通りだなと思いました。

感情だけでもだめで、
根拠や理屈だけでも人は動かない。

なので両方刺激する情報が必要となります。

さらに、思考の断片的なところをみていくと、
断片なので脈絡がない
ことになります。

そもそも脈絡とは何か考えてみると、
人に分かりやすく思考を伝えるための
ものであって、

思考をわかりやすく
加工した状態が脈絡のある
思考なのだと思います。

しかし、ここで考えてみたいのは、
脈絡があるというとことは、

まずはじめに
「脈絡がない」状態のものが
なければならないということです。

ようするに、
断片があって、それをつなげることで
初めて脈のある話になってきます。

パズルが完成するためには、
パズルがそもそもピースになっていなければ
パズルと言えないように

思考も断片でないと
脈をつくれないし、
論理立てて語れません。

さらに続けると、

この断片を単なる
無味乾燥な断片でなく、

味わいのある断片に
変えるのは「つぶやき」です。

断片に感情的な要素をのせて
ぽろりと言葉にする「つぶやき」は

実は思考の原型的なところを
突いているのではないかとも思えてきます。

ツイッターが流行る理由は、

こういった人間の思考の本質的なところを
だれもが予感しているからかもしれません。

全能感と無能感

私たちは子どもの頃から全能感に包まれてきました。

全ての子どもがそうではありませんが、
謎の全能感がありました。

それは、消費者として成長
してきたからだと思います。

消費してなんぼ

だから

仕事していきなり無能を知るので

ものすごくしんどいです。

お金出せばいのままになる幻想

なんでもできるという幻想がうまれますよね。


無能を実践で知る前に知りたいですよね。

応援したくなるキャラとは

以前よりキャラクターはつくるものじゃない!
勝手に出来上がってくるものだ、
というようなことを書きました。

それからすると
矛盾した内容のように見えるかもしれません。

ですが、
意図して作ったキャラを超えるという話です。

まず、キャラクターはその場での役割
を与えられています。

この場ではこのようにふるまうことによって
利益を得られる、と考えるからです。

このなかで
キャラがつくられていって、
そして大きな信頼へと繋がっていきます。

ですが、キャラはある意味不完全な方が
ひとを呼びやすのではと思うことがあり、
それについて共有します。

キャラにはそれなりの
物語があります。

その各自の物語をある程度予感させる
ことがリピーター獲得のミソ
なのではと思いました。

常に前を向いているという
実感が欲しいため、


つむいでいきたい物語か
どうか判断する必要があります。