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恋と消費

Jポップによって恋愛が商品化されて
恋愛がテンプレート化している。

という評論を目にしたので、
湧いてきた問いを並べていきたいと思います。

そもそも愛と違って、恋愛って元来消費されやすい
性質を持ってるなと思いました。

あのわくわく感は期間限定だし、
コンテンツになって売り買いされやすい
という構造がもともとあるよな、と。

考えてみれば、アニメキャラに
惚れたりして浮かれたりしてますけど、
そういえば意図的にかっこよく描かれて、

意図的に惚れさせられていたと
言われればそんな気もします。

こういう意図に気付くとなんだか
興がさめますが、

逆にパターン化されていない恋、
期間の限られていない恋ってあるかというと
そんなものはないなと。

けっこう恋愛のパターンは決まっていて、
だからこそ今では恋愛の仕方を商品化して
それをコンテンツとして販売する流れもあるくらいです。

こういうとなんだか
恋愛が本当に商品化して
していく感じがして嫌になりますねー。

でも恋愛で成功する仕方を
販売するというのは
ある意味人の役に立ってるから

単なるのろけ話で終わらない、
「人に価値を与える」恋愛が展開されて
きているとも言えます。


恋愛とビジネスは
なかなか一筋縄ではいかないですね。



希少性と贈与

今日も贈与論から少し考えてみたいと思います。

ビジネス心理学の中でもこれまた言われている
ことですが、限定期間を設けるなどして
「希少性」をアピールしたら

商品が売れやすくなるという理論に
「希少性の法則」があります。

なにも期間だけではなくて、
特定の人のみに販売していることを
アピールする場合もあるでしょう。

ですが、場所を利用して
希少性を出す場合ってまれだなと
なんとなく思ったので、これについて少し触れます。

まず、人は差し出された
ものや呼びかけに対して、基本的には
自分宛かな?と思う傾向があります。

現に贈与論の中で、
自分宛のものかわからないけれども

自分宛のギフトだと思い込んで初めて
贈りものは贈りものになる
という理論があります。

このことから、その時その場で
差し出されている人間が自分だけであれば、
それだけで信用してくれるだろうということが分かります。

なので、案外無理やり
意図的に希少性をアピールしなくても

あるていど相手に響く事柄で
場面設定ができているだけで
相手に刺さる内容になるかもしれません。

細かくどんな状況にあるお客さんを
ターゲットにしているかとか、
どのような場面で使われるかを紹介するだけでも

勝手に希少性を感じてくれる人が
現れると思います。


プレゼントについて見直し

ビジネス心理学の書籍を読むとかならず
遭遇する法則に「返報性の法則」があります。

同じプレゼント交換的な話になるので、
勝手に贈与論の文脈と重なると思っていた
のですが、どうやら贈与の体系とは異なっていたみたいです。

返報性の法則と贈与について
考えがまとまりきらなかった
ところを一度書いてみます。

まず、返報性の法則ですが、
読んで字の通り、人はプレゼントをもらったら
もらった相手にお返しをしたくなる法則のことです。

ビジネスではこれを応用して、
よく無料でプレゼントを渡して
お返しに商品を買いたくさせる方法がありますね。

では、贈与の方はどうかというと、
プレゼントくれた人に対して
お返しをしたくなるのではなくて、

贈る側、贈られる側とは関係ない
第三者に対して、もらったものを
プレゼントしたくなる、という文脈だそうで、、、

ここでプレゼントの本質考え直そうと思いました。

確かに、プレセントの価値がわかって、
もらった人にお返ししたい場合は
単なる交換になります。

なんならお金をその場で渡せばいいわけで、
貨幣経済ということになります。

でも贈与が前提の交易では、
プレゼントを受け取った人には
そのプレゼントの価値が分からないことが必須で、

受け取った人が価値が分からなくて、
第三者に渡してしまうものだから
そこで第三者にとっては必然的にプレゼント化する。

というループがつくられるのが
贈与だそうで。

ここからわかるのが、
プレゼントって本質的にはありがたいものじゃない
んだってところで、

「わけがわからないけれど自分のところに贈られてきた」
というのがプレゼントがプレゼントとして
成り立つ条件だったことには驚きですね。

でも、現実として、
プレゼントを渡したい時は、単純に
相手が喜ぶと思うものを渡しますし、

別に嬉しいと思う時ありますし、
わけのわからないものにならない場合でも
プレゼントじゃないかと思うのですが、

ここではプレゼント=贈与されるもの
っていう思い込みが私の中にあるからこんがらがる
んだと思いました。

上の理論だと
プレゼントはそもそも贈与じゃないし
プレゼントはそもそも交換ということになる
のだと気づきました。

プレゼントが渡されるのと引き換えに
「相手が喜んでくれる」というお返しがあるので、
交換…ってことになるのかなあと。

本棚と自己ブランディング

本棚には、誰かに自分がこういう人だっていう
のをアピールしやすくする機能があります。

別にそれらの本を読んでいなくても
自室の本棚に置いてあるだけで

その人はそのジャンルの本を読む人、という
イメージを植え付けられます。

ポイントは、自分がその本を読んでいなくても
そこに置いてあるだけでそれが自己ブランディング
に繋がるということです。

中身を知らなくても、アウトプットが完了している
ってところに面白みがあります。

それは本棚の配置とか、順番にその人の
その本に対する「視点」というのが
見えていたりして、

もうその時点である意味コンテンツとして
見られるものになっている場合があります。

ここで疑問になるのは、
じゃあ本を読むことってそもそも
どんな意味があったかということで、

これに対してはやはり、

その本が自分にとってどんな意味があるのかを
明確化するところまでいけたら、
初めて本が意味をもつと言えるでしょう。


単に字面を追うだけではどうしようも
なくって、自分にとってそのコンテンツが
どういう意味をもっているのかを明らかにすることに意味があります。

もちろん、字面を追うだけでも
本を読む訓練になるとか、

そういった目的もあるかと思いますが、
概ねそんな感じです。

なので、その本は自分にとってどんな本だったか
が言えればコンテンツ作成する上で
ネタ切れの心配はいらないんじゃないかと思います。

「価値」からの後押し

動画が面白い、とか

漫画やアニメ、いわゆるコンテンツ全般が
面白い、価値があると思われる要素は何か。

以前にこんなようなこと書きましたが、
今回は自分の意図というより、
価値、コンテンツの側から

語りかけてくれるような現象についてです。

優先順位

昨日仕事で、
「知らないことは自分で調べて勉強して
学ぶもの」ということを言われ、

なるほどな、と思いました。

ですが、昨日は
今の職場の業界でしか扱わない
専門知識の勉強をすすめられたので

教えてもらって当然という姿勢よりも
自分から学ぶ姿勢がいいのは分かったけど、

今すぐ力を入れて勉強する分野ではないなと
思い、葛藤しました。

今は本質的なスキルの形成に力を入れている
つもりで、これまた学んでいる感覚とかが
なくて困るんですけど、

どこでも通用するスキルを優先的に
身につける必要があるなと。

学生の頃にこの優先順位を間違えて
「学んだ感」のある歴史や文化史に力入れて
勉強してしまって逆に遠回りをしてしまいました。

なので「あなたの専門は?」と
聞かれてもぽつぽつとしか答えられない
苦しさがあります。

確かに、本質的な学びっていうのは
本当に今この勉強していていいのかな、
って疑問に思ったり、焦ったりしますが、

だからこそ皆んなやらないので
勉強したらほんとに抜きんでられます。

労働についてまた

労働が辛い辛いと耐えて耐えてしてますけど、

そもそも労働ってものが実は頭の中で
勝手にこしらえた概念だったと気づけるように
なりました。

労働は労働でも手軽な事務作業とかなら
無心に作業する面白さわかりますし、
(もちろん長時間やってると嫌になります)

逆に労働とは言われない読書
でも、難解な哲学書読んでるときは
「労働かっ!」って思うほど骨が折れます。

一つひとつ個別に見ていく必要があるなと思いました。

どちらでもない

どちらでもないという立場を
とりたくなることが多いです。

賛成、反対どちらかについて
ディベートすることが苦手で、

中学校や大学の授業でそれがあると、
「あ~あ。またか」
ってなって意識飛ばしてました。

今思うと、テーマがあんまり興味もてない
内容だったかもしれません。

環境問題とか、学校教育の問題とか
あぶり出せばきりがないようなテーマで、
そもそも私たちが議論する意味は?

ってなるような、ある意味議論しやすい
テーマでやっていました。

このような興味ある・ないということも
議論の好き嫌いにかかわりますが、


やはり同時に中立の立場を取りたいとか、
立場を決める前に前提を疑いたい
とかいうことを考えてしまうので、

それができないもどかしさも感じる
からやっぱり「どちらでもないや」と
思うことになる側面もあります。

私の甘えなのかもしれませんが、
やはりこの「どちらでもない」は
一度考える時間とってみるべきかなと思いました。

キーワード選び

ブログをつくるときに色々勉強するわけですけど、
一番面白い原理だなと思ったのが、
キーワードごとに市場があるということです。

言葉一つ一つに
市場がある…

言葉について考えるとき、
辞書で引いて意味を理解したり、
使い方を習ったりするかと思いますが、

言葉の背後に市場がある、って考えるのは
すごく新しくて刺激的でした。

言葉の可能性が開けてくる
感じがして面白いです。

キーワードを何にするかによって、
集まってくる読者の質とか
考え方とかが定まってくるってことですよね。

それなら当たり前ですが、
みんなブログやれば言葉を真剣に吟味する
ようになるんじゃないかと思ったりします。

で、ここまで書いて思ったのが、


ある意味言葉によって自由に市場を
コントロールすることになるので、

言葉一本で、ものごとを動かすことができる
ところまで究極的にはいきつくし、


マスターしたら世界創造する感覚味わえるんじゃないか
とも思いました。

デジタル世界ですが、天地創造も夢じゃない…

結構飛躍しましたけど、
キーワードで市場を選んで、
その市場をコントロールすることになるので、

言葉そのものがこの世をコントロールする
道具、って古典の中で言われてきたのも
納得できるところがあるかもしれないです。

書く

書く内容、これがよくわからないで
だらだら過ごしてしまいました。

本当に、
インプットしてる中で
いったいぜんたいどう転んだら

アウトプットに変えることができるのか、

この問いはかなり深い部分で、
それをコンテンツにする必要がありますね。

それにしても

本当にどんなことが起こるとアウトプットマシーンに
なるのか、そこだけは楽しみです。