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広まりやすいコンテンツの本質

口コミで広めてもらえるような
コンテンツをつくりましょう。

人に紹介したくなるような視点を記事に
しましょう。

こういうことが情報発信のハウツーや
ライティングのテクニックとして
唱えられることがしばしばあります。

そしてそれら拡散されやすいコンテンツ
は無料でいつでも誰でも見られるようになっていて、
アクセスが容易です。

そういうアクセスしやすいコンテンツがある一方で、
奥の方には、どこかでマネタイズしているコンテンツもあったりして、

初心者にはどこからどこまでが
無料でどこからどこまでが有料の情報になるのか
イマイチ見えにくいところがあります。

ですが、割と簡単で、

前の方で出されるコンテンツは「作品」に近くて、
後ろの方で出される有料のコンテンツは「商品」
と考えれば分かりやすいでしょう。

まず初めに面白いYouutbe動画とか
刺激的な記事とかがあって、
そのコンテンツに感動したりします。

で、そのコンテンツを鑑賞した後、
潜在的であれ、顕在的であれ、

「どうしたらこんな凄いコンテンツつくれるんだろう?」
「この作品の元になったコンテンツはなんだろう?」

というような疑問が湧いてきます。

つまりはHowの問いに対する応えが
抜けていて、

そこでそれに応えるように
有料コンテンツがオファーされるというのが

一般的な情報発信の流れです。

じゃあ何でHowに応えるコンテンツが
売れるかというと

そのコンテンツを読んだり聞いたりしている
人自身が、

自分でそういう優れた作品を作れるようになりたい
と思うからです。

お金を払ってでも作者の裏の意図とか、
どういうことを勉強してきたのかを
知って自分の情報発信で活かしたいからです。

この構造の面白いところは、
フロントで出されるコンテンツに対して
「自分にもこれできるだろうか?」

なんていう模倣欲みたいなのが
働いているってところだと思います。

この自己ブランディング欲を刺激できているかどうかが、
フロントの無料コンテンツで口コミが起こりやすいものか
そうでないのかの違いを分けます。

そして、その広まり具合によって
裏に控えている有料商品を買ってもらえるかどうかが
決まってくるわけなので、

拡散されやすいかそうでないかって
すごく大事だなと思います。



間違いに気付けるか

なんでこんなにポカミスをするのだろう、

というくらい仕事でミスをします。

見直しをしているのに
絶対なんか間違えてるんですよね。

そのとき次はミスしないようにしようと
思えればいですが、
そう思えないくらい何度もミスしたりで、

見直してもミスするし、
同じミスを次もするしで、
すごい自己嫌悪に陥ります。

ですが、人間である以上は
ミスするものなので、いかにそこで
否定的にならずに次に活かすかです。

あと、失敗をなんどもして
経験を積んで大きくなろうとか
言いますけど、やっぱり失敗は

失敗で、
規模やミスする人の年齢にもよりますが、
ミスをしたらミスした責任取るのが

やっぱりつらいので、
失敗はしないことを真剣に考えなきゃならないん
だとも思います。

運動としてとらえる

なんでも運動として
ものごとを捉えてみると

問いが動きやすくなるかもしれません。

もちろん運動だから
自ずから性ともからみますが、

まずはその運動を勝手にさせるということが
必要です。

起業することのメリット

ネット起業に憧れています。

その理由の一つに、
自分で自分のやったことの
責任をとることができるという

点があります。

会社に所属していると、
何かミスをしてもなんだかんだで
その場では会社が金銭面では責任をとるので

その点が申し訳なくて
起業したいとも思います。

すべての会社が金銭面で社員に
やさしいわけではないと思いますし、
ボーナスカットや、減給やクビだってあるかもしれませんが、

とにかく自分でけりをつけている感覚がないです。

別にミスをしまくるのがいいというわけではなく
けりをつけることが多くなりすぎると感覚が
麻痺してくるんじゃないと思って

恐れています。

教えるということ

人に教える時、

私たちはその人にコンテンツを
提供しているかのうように思えますが、

どうもテキストを提供することが
教育の本質であり、
あくまで人から勉強を教わる仕方を

学んでいるんだと思います。

漫画やアニメから学ぶこと

漫画やアニメ、あるいは小説の世界が面白くっても
それらはしょせんフィクションの世界
の話であって、現実とはなんら関係がない…

そう言い切ってもいいはずなのに
そう言い切れないところがあります。

現にこういった物語を楽しむとき、
私たちは思いっきり現実のことと
照らし合わせながら楽しんでます。

で、結構現実においても役立つような
行動指針を示していたりして、
よく分からないやる気につながたりします。

現実に起こっていることではない、
けれどもそのエッセンスや作者の伝えたい
意図は現実においても応用できる、

そういうわけで
コンテンツを味わうことは
現実と照らし合わせてることが根底にあると分かって、

現実ではないはずなのに
現実に影響を与えるのは当然のこと
だっていうことに気付きました。

覚悟は周りから与えられるもの

自分なりの情報発信を始める時、
かならず覚悟が問われます。

色んな批判に耐えられるか、
あんなイヤ味やこんなイヤ味を言われるんじゃないか、
なんていう不安とか恐怖とかと闘いながら。

どんな辛い事言われてもやり切れるかどうか
自問自答しながら挑戦するか否か考えるかと思います。

また前みたいにしっぽ巻いて逃げてしまうのではないか…

そういう不安が襲ってくるわけですが、
でも前に進まないと先がない、なんて時があります。

そういう時、いつもうだうだ考えて
優柔不断さを見せたりして、
会社の先輩にあーだこーだ行動力がないとか

主体性がないとか積極性がないとか言われるわけです。

その度に、ああ自分はなんて覚悟がないんだろう
とか思ってジメジメ考えるというパターンが
いつものパターンです。

ですが、ここのところはまってる
贈与論のおかげで一つこの覚悟に関する
ヒントのようなものを見つけました。

それはどこまでも周りからの要請があって、
覚悟というのは決まるんだなということです。

覚悟って自分の中から湧いてくるものでは
ないんですね。

あの人の要請に応えられるのは
自分しかいない、そんな思い込みが
人を強くします。

ジャンプ作品なんかを読んだり、
アニメを見たりしていると、
主人公が挑戦したり、戦う覚悟を決したりするときって

たいてい尊敬する先生の言葉だったり、
先に死んでいった人たちの意志っていうのが

主人公の支えになって
ダイナミックな行動につながったりしています。

どこまでも周りからの強い思いとか
そんなのが行動のきっかけになっています。

当たり前と言えば当たり前ですよね。

でも、自分にはそんなズシリとくるような
言葉や、友達や、師匠に逢ったことがないけど

そんな自分には覚悟とか行動力はめばえるんでしょうか、、、

そういう場合に出てくるのが贈与論です。

贈与論では、なんの変哲もない石ころに対して
「これは自分への贈り物だ」と錯覚することで
贈与が始まったとされています。

ここで、「自分への贈り物だ」と錯覚する
きっかけが「ありがたい」「存在可能性が少ない」
という感覚です。

今この場で、このタイミングで、この
石ころに出会っているのは
この私だけだ…

その感覚が個人の行動力に火をつけます。

この感覚というのは信仰ともからんでくるらしいです。

個人という枠を超えたもっと大きな何かを
直観する、というやつですがここでは
これ以上踏み込みません。

要は、自分にしか贈られてない、
自分にしか伝えられない、

だから自分にはこれを全く知らない
人に贈与する必要がある、
なんて思うことで贈与のループが始まるんです。


だから、情報発信したり、他人に
自分の意見を伝える時の覚悟は、

「自分にしかこのことは伝えられない」

という使命感を錯覚させるような
コンテンツによって
勝手に芽生えてくるものなんだと思います。

ずらし

なぜかねらったところではなくて
少しずれたところに着地する、という経験
がよくあります。

達成したい目標ではなくて
そこから少しずれたものの達成です。

これについて、
ずらしというかズレ、ですけど、
それよりも揺らぎの方が当てはまる気がしてます。

他者がいない

何故私は職場で期待を裏切りまくるのか、
できることがない、任せられない、なんてことを
よく言われるのかについて考えてみました。

一言で言うとやる気が湧かなくて
怠けてしまうから、というのがあるんですけど


じゃあなぜやる気がないかというと、
言い訳にしかなりませんが、

「どうしてもその仕事を今行う必要性」
を感じないからです。

もう苦しくて、苦しくて、どうにも
大変で大変で猫の手も借りたいという
ような場面に職場で遭遇したことがありません。

ほんと何様のつもりだよ、という感じですが、
本当にそうなんです。

哲学者のレヴィナスが、
「他者」は必ず何かを欠いた存在である、
というようなことを唱えていたようですが、

何かが足りていない存在に遭遇して
はじめて「他者」として認めることができます。

なので、足りないもののない職場では、
「他者」のいない職場では
どこまでも自己中になってしまいます。

でも、約束守って、信頼される立派な大人に
なりたいそんなときはどうすればいいのでしょうか。

もうおのずと分かってくるかと思いますが、
それは相手が「他者」になり得そうな要素を
こちらから探しに行けばいいです。

どうにも来月赤字であれば
翌々月は会社がつぶれる、等々
もがくほど苦しいことが分かるようなデータを探します。

探し出したら自分の言葉で
考えてみてください。

役に立つ

役に立つか分からないものが
ビシッと役に立つ時、


感動させられます。

いつでもこのギャップによって
感動と機能的価値のふり幅を大きくしているなと。