2021年 4月 の投稿一覧

リアルについてちょっと考察

ものごとがリアルだとか、
現実味を帯びてるな、って感じるとき。

それはいったいどういう事態なのか考えてみたいと思います。

リアルな身体感覚と人間味

これはどう考えても「身体感覚」がどれだけ
ともなっているかによって
「現実味がある」「現実味がない」が決まってますよね。

実際の身体感覚もそうですが、
胸がドキドキする、とか
冷や汗が出る、とか

そういうことってあるかと思いますが、
実際このドキドキとかヒヤッと感って
現実味ありますよね。

しかも文章術学んでいる人は
分かると思いますが、
こういう身体的な表現を伝えることで文章が「リアル」になります。

さらに、「身を入れる」って言葉もあるように
自分の身体的な感覚を投じることによって
何かに集中して取り組めるようになったりします。

なので、「現実味」のあること
と生々しい身体感覚というのは重なるものです。

ところで、
これから世の中自働化が進んで
どんどん機械におまかせしていくとなると、

絶対にこの「現実味」を求める声が
出てくると思います。というか
もう出てますよね、たぶん。

機械とか自働化とかAIとか言うときの
あの冷たい感覚とは反対のアッツアツの義理人情みたいな
ものが必ず浮き上がってくるでしょう。

人間味こそが物語を生み、感動を生み、
前に進む力を生むので
やはり人間味を帯びたリアルさが大事だという主張です。

この義理人情を強調するときに同時に
出てくるのが、人間味ある方が「正義」
だという主張かなと。

ただ、ここでは「正義」や「正しさ」については
あまり深く語れないのでまたの機会にしておきます(^_^;)

ここで、「人間味」という言葉が出てきましたが、
これも身体感覚とリアルについて考えていくと
勝手に湧いてくるワードですね。

現実味と人間味があいまって
初めて生き生きとした感覚がうまれます。

私が勤めております会社の営業マンが、

人とのナマのつながりを大事にしていきたい…

なんてことを言ってますが、

これは直にお客さんに会って、
会話が生々しく生成してくるあの躍動感を思っての
セリフですね。

確かにこのような生(ナマ)のつながりは
機械化が進む今では注目されますし、
アナログなお付き合いが今後はもっと重視されると思います。

でも、でもですよ…

「機械的」、なはずなのにリアルな人間味を感じるもの
って実はあるんじゃないかとこのごろ思うんです。

「動き」を遠目に見てみよう

これは特にビジネスとか、経済、社会の変動を学ぶと、
なんとなく感じることなのですが、

機械的につくられたはずの仕組みが
動いている、というそのことそのものが
なんだか生き生きとしているように感じられます。

機械や、自動化した仕組みを総体的に、
見てみるとわかるのですが、

上がったり下がったり、うねうねと
変動しているところが
「何か生きているぞ」という感覚を生みます。

何でこんな風にみえるのか考えてみました。

お金の流れとか物流とか自働化って、
結局人間が必ず関わっていること
だから、とも言えますが

「動き」そのものに「人間味」を見るから
じゃないかと思います。

「動く」ということ自体が
「人間味」というところと密接にかかわっていて、

逆に、人間味あることとかリアルさって
ものすごく単純なところまで分解すると、
単なる「動き」なのかもなーと思いました。

そこまで分解してしまうと元も子もないですが、


結局この「動き」に魅せられて
人は行動するので「動き」をうまく使えば
ビジネス上手くいくんじゃないですかね。

「動き」の一つ一つをもう一度見てみると、
それぞれの仕組みがうまいこと連動して
次から次の工程へとパスを回しています。

このパス回しの中で、参加している人にどれだけ
身を入れさせるかがポイントになってくるんだと思います。

たとえ機械的な仕組みだとしても、
少しだけ遠目にみてみることで

リアルな動きとして見えてきて、新たな
発見があるかもしれません。

「下」からの眺め

成長をまた問うてみたいと思います。

成長している先輩の背中を見ています。
いつも従順に上司の言うことを聞いて、
従順に仕事してる。

そんな先輩と比べられて将来性を問われてしまい、
辛いと感じる時があります。

こんな時、成長とは何かすごく考えます。

会社にとっての「成長」と私の思う「成長」とが合致して
いないことがつっかえの原因だと思います。

会社にとっての「成長」は、いかにうまく
労働してもらえるか、というところです。

単なるルーティンワークではなく、自分の頭をつかって
新しいことや、ちょっとややこしいことでも責任もって
対処できることを希望します。。

それに対して私は仕事でやってることはややこしすぎて
分からないし、分かってもここ以外で使えない知識は
「成長」に繋がらないとか考えてます。

でも、会社の方針だと資産性の低いこと、なおかつやればやるほど
どつぼにはまっていくような
そんな気がしています。

現にできるようになる仕事が増えるごとに、

またこのお客さんか、、、

となることがほとんどで、相手はどれだけ私が
頑張ったかがわからないためそうなります。

ねむい時どうしてます?

ねむたくてしょうがないという
時、どんな感じしますか?

すべてをなげうって、安心して眠りたい
という欲求があります。

こう書くと、必要最低限しかやらないように見えますね。

でも眠いときは眠い

労働・労働・労働

先日職場で、暇な時と忙しい時と
どっちがやりがい感じる?
って社長に聞かれました。

「忙しい時の方が充実してます!どんどん仕事を振ってください!」

って答えて欲しかったのだろうと思いますが、
敢えてそのようには言わず。

「時と場合によりますー」

と素直に言いました。

もう、ほんとしょうがないんですけど、
社員は一生懸命労働することが無条件に素晴らしい
という固定観念が見えています。

当たり前ですが、仕事では密度の濃い時間を
いかに作るかが問題なわけですが、

それが日頃の労働を増やすということで、
本当に嫌だなーってなりました。

私の中で根深い感情がこの時芽生えて、
やっぱり下僕になりきれない辛さが
ありました。

忙しいのがとにかく嫌で、

どこそこに電話してどこそこにファックスして
誰それのためにコピーを取って
の毎日とおさらばしたい。

でも、ほんとに何でこんなに
嫌がるのか自分でも不思議で、
とにかく根深いです。

とにかく事務仕事がめんどくさい。

もっと因数分解すれば見えてくる
事もあるのかもしれませんが、

苦手すぎて考えることもできないです。

こんなときってあると思いますが、
理性というより感情ベースになっていて
どうしても「労働=悪」の方向にしか

もっていけなくて、
思考が働かないですが、ここであえて
「労働=すばらしい」を考えてみるのが

ひとつ壁を乗り越えるための道かもしれません。

考え方のコツ

深くものごとを考えるときの
コツを教えます。

それは「前提」を問うということです。

例えば今私の中でしきりに響いている
「成長」という言葉ですが、

これの前提を問います。

問い方は5W1Hに沿って
考えていきます。

・なぜ
・何を
・誰が
・どのように
・どこで
・いつ

そもそもなぜ「成長」を問うのか
そもそも何を「成長」とするのか
そもそも誰の「成長」を具体的にイメージしてるのか
そもそもどんな場面で「成長」していると思われるのか
そもそもいつごろ「成長」の概念を追求し始めたのだろう。
そもそもどうしたら成長したと言えるのか

「怒られる」の深さ2

「怒られたことによって
私は○○に成功しました。」

このように怒られたことを
いい思い出のように語る人いますが、

あれは勘違いの元になるので、
避けるようにしています。

とにかく怒られているときは
もうとにかくここからのがれたい

そんな一心で心入れ替える、そんなコンテンツが悩ましい

動詞を考える

名詞ではなく動詞について深く考えると、
結構具体的にそのもの自体を詳しく
分解できるな、と思うようになりました。

なんの話かというと、

ものごと考えるとき、
思考が流れるように展開されるときと

そうでない時の違いがあります。

この違いっていったい何だろう
と思っていたのですが、

やはり動詞の部分を掘っていくと
湧いてくるものがあるなと。

例えば、

毎日職場で電話対応するわけですけど、
この電話って何か考えるより
当たり前ですが、電話に出るという動作を考えることになります。

電話に出る=距離が遠くて話せない
相手と話すこと=本来話せなかったはずの人と話すとは
どういうことか…

というように展開されていくので
考えに行き詰ったときは
動的に考えるといいかもしれません。

「怒られる」の奥深さ

怒られるのが怖い…

いかに怒られないように生きていくか、
これが結構私のテーマになっているんですが、

そんな自分を許す部分がある反面
情けないよな、と思うことがあります。

怒られることにびくびくする人生なんて
情けない…
でもやっぱり怖い…

職場で怒られるのが怖くてストレスになる人も、
強がってるけど実はもう怒られたくない
と感じている人いますよね。

けっこう悩んでる人多いんじゃないか
と思って書きました。

情報発信者は人を扇動するために
弱気な姿勢あまりみせなかったりしますが、
だからこそ一度実験的に弱気発信してみます(^_^;)

今回の話は「怒られる」なので、
怒る側の心理とか、どのような怒り方を
するかといったことは深入りしません。

怒られた側の心理を深堀りし、
怒られて怖がるとはいったいどんな
事態なのか、考えていきます。

だるい日のために

今日は本当にだるかったです。

もうだるすぎてやることなすことすべて
裏目に出たり、細かいミスしてたり、

なんでこんなにダメなんだろう、
今までの人生確かにすべてダメだった⤵

みたいな風になって

まったく仕事が進みませんでした。

でもこの「だるさ」がくるといつも
自分の体の有限性をすごい意識させられます。

こんなふうにしてどんどん体が劣化していくんだろうな

今よりもっと苦しむのかな…

とかとか

こういった姿勢はマイナス思考だ!
と言われることありますが、

この頃は結構前向きな姿勢で
「劣化」とか「有限性」を考えてます。

今まで結構自分のできなささ、
もろさ、体のにぶさに対して嫌悪して
自分を卑下してましたが、

その劣った自分が確かにいるけれど、
そこから卑下するのでなく、
限られた中でどこまでできるかを考えるようになりました。

今までは若さもあってか、
自分はどこまでも飛んでいけるという
謎の幻想に意外にもはまっていたんだなと。

いや、どこまでもいけますよ。

可能性は確かに無限にあります。

でも、この無限性は有限性を自覚して
はじめて際立ち、意味をもちはじめます。

今までは可能性ってのは開けていて、
「いつか自分にも夢を叶える時がくるんだろうな」といった、
遠さのようなものを感じていましたが、

今は自分の「可能性が無限にある」ことが
ぐっと身近なものになった感じです。

生に近い。

じゃあ、自分の資源が有限であることを知ってからは
どう動くのか?と言われたら

資産性の高いこと、一生価値良いままで変わらないような
ことに時間とお金をさくしかないかなと思います。

その見極めが大事ですが、
自分自身の質が高まるとおのずとそういう
資産性高い情報に出会えるかもしれません。

「行動しよう」の因数分解

よく、「立ち止まってないで行動しよう」
と言われます。

この「行動しよう」と促されるこの
行動は何を意味するのか、考えていきます。

とはいってもかなり文脈によって
行動の意味は変わります。

私が職場で言われるのは、
主体的に動いてほしいと思われてるときで、

「悩むよりもすぐにお客さんに確認した方がいい」

とか

「そんなこといちいち聞かずに自分で判断して行動しろ」

とか言われたときです。

やはり相手がいて、
その相手に対しての言葉を投げるん
だなと思いました。

受ける相手のいる行動こそが
ここでの行動です。

しかも、この場合、行動してその影響いかんによって
収益が発生するか否かが決まってしまうこともあるような
行動です。

簡単な行動もあれば、複雑な行動もあり、
よく説教されるとき両方大事みたいなことになりますよね。

その感覚を速いうちから身に付けておくと
周りとの齟齬が無くなり、
仕事がしやすくなるという結論です。