2021年 6月 の投稿一覧

歴史性を商品に求める

クラウドファンディングで有名なマクアケ
の商品見てたら、目にとまるもののほとんどが
歴史とからんでるものでした。

マクアケに会社の商品を掲載する可能性を感じて
リサーチしてみましたが、
特にきっかけもらえることはありませんでした。


ただまあ、みごとに歴史に関係するような
商品情報ばかりに目がいきました。

アイデアで勝負してる感じがスゴイ。

モノというよりアイデアです。

歴史は手に取れるものではないからか、
それと絡めた商品となると必然的に
発想で勝負になります。

もともと歴史がからんだアニメや漫画、
小説が好きでしたが、やっぱり今回
カテゴリーが数ある中で一押しが「歴史」

でも本当に未だになんでこんなに
歴史性求めるのかわからないですけど
自分でも分からない深い意味があると思います。

けっこう形の無いもの追いかけてる

普段、仕事しているときは
意識してませんが、

私たちはけっこう形の無いものの周り
で取引したり、交換したりしています。

形がはっきりしないからこそ
色々交換したり流したりできるわけです。

形のあるものだけで回していこうとすると
速度が落ちるので、形の無いもので、
例えば、お金や信用で経済を回していきます。

こう見てみると毎日けっこう抽象的な
概念上のことであれやこれやして、
大変な目にあったり喜んだりしているのは

なんだか微笑ましいというか、
実体をともなっているように
錯覚して実はそうでもないと気付く新鮮さがあります。

阿吽之息 暗黙の了解

私の勤務している会社では、
阿吽之息
暗黙の了解

みたいなことが無意識下で
大切にされています。

無意識下で、というのは、
本人たちはおそらく認めたがらないからです。


うちの会社では
ひとりリーダー格の営業部長がいて、

その営業部長に面と向かって
反抗できないけれど

反抗したい、
自分たちの沈黙のポリシーを
大切にしたい、

そう思っているところが絶対あって、
それに対する抑圧が生んだ一つの傾向だと
捉えています。

なので無意識下です。

でも、その部分って、営業部長のためにも
表面化させた方がいい傾向かなと
最近思いました、

というか今さっき思いました。

あの人は、あの営業部長は、いつまでも
「沈黙」のすごさに気付かないまま
一生終えるぜ

でもその「沈黙」を表面化させるためには
「語る」必要がでてくるという
ちとやっかいなところがありますけどね。

身がともなう

これまでの自分の言動を振り返ると、
身の入っていない言動ばかりだったなと
思います。

いよいよ自分の「色」みたいなものが
決まってくる感じがしています。

この社会・世界・宇宙?に生まれてきて、
たぶんなにかをします。
何かって、具体的にどんなことか分かりませんけど

引き受けていかなきゃならないもの
ってのがたぶんあって、
だんだんその要請みたいなものが迫ってきている
感じがあります。

今の自分に「できること」から
どんどんそれらが整えられてきて、

勝手に自分の色合いが決まっていく
んだろうという

大きな流れの中で私が生成されてくる感じ
ってのがほんとうに身近に感じられます。

この、社会に対して「私はこれです!」って
言えるようなことを成す

そんな状態になって初めて
「身がともなう」んだと思います。

非常に抽象的な話になりましたが、
どんな社会人になるか迷っていても
ちゃんと周りからの要請に耳をすませば
勝手に決まっていくよ、っていう話でした。

自発性について考える

もーーーううんざりするほど
会社で自発性が叫ばれまくって
おります。

言われる前にやるべきことやるのは
もちろんやって、

さらにまだまだって言われる苦しみ…

役員勢が期待しているのは
0→1にすることで、
新規顧客開拓とかそんなようなこと。

しかもちょっと手をつけるぐらいじゃなくて
フィニッシュまでを期待されている。
あたりまえですけど完成まで、

実績が出るまで認めない

まあ、今の状況的にはそこまで求められる
のはごもっともですが、

ここで立ち止まって考えてみたいのは、
「自発的」な行動の捉え方は人それぞれだな
ということです。

この前までは与えられた仕事+αでよかった
ものが今では結構ハードルの高い新規顧客開拓、
といったように、

働く側も評価する側も
段階によって求める自発性の度合いが
違ってきます。

自発性には度合いがあるんですよ。

それはさておき。

ただ、ここでこちらが疑問に思ってしまうのは、
役員の人達が業績が悪化している潜在的な
言い訳として、

私に「自発性がない」ことを
主張しているのではないかと思えるような場面があって、

以前にもそんなようなことがあったから…

まあ、そんなことはどうでもいいか。

闘争心とともに

闘争心ってわくわくしてくるもの
だなと思います。

古代中国の武将が面白い軍略を編み出してしまった
自分にワクワクするように、

仕事で、あるいはビジネス全般において
あっと驚くような戦略を編み出すと
周りが驚いてくれる様子が浮かんだりして

それがワクワクのもとになっていたりします。

もっとワクワクしたいです。

でもこのわくわくは
適当に打ち上げたものからではなくて、
しっかり型にはまったものと

新しいものとかカチッとはまったことで
湧いてくるものなので

道筋がよくわからないけれど
なぜか最終的なゴールは見えているという
あれなんかは闘争心からくるワクワク感の

みなもと的なものだなと思います。

話それますが、
水を得た魚のようになるわけなので、
環境って大きいなと思います。

コチラがコントロールしている

完全に厨二病的な発想で書いていくので、
苦手な人はこの先読まれないことをおすすめ
します。

よく会社の経営陣が、自分は色んなことをコントロールできて
自分は自分の会社を自由にできる

けれど社員は社員だから自分の下で働いて
自由はないということを言ったり、
表面下で、あるいは潜在的に思っていたりします。


でもこれは本当でしょうか。

社員は経営者をコントロールできます。

どういうことかというと、
駄々をこねて「これやりたくないです」
と言ったら誰もはたらかない

だからこれはまずいと経営者側が行って、

やりがい搾取

今日、

営業部長と色々話しまして
色々気付きがあったので書いていきます。

・やっぱりどこまでもやりがい搾取
・素直に大変だから助けてと言えばいいものを
「自発的に動いてくれない、自発的に動ける人になってほしい」
という言葉でこちらに非があるような言い方になっている。
極めつけは自分でマネジメントする方が楽だということを
主張してこちらに面倒な仕事をやらせようとしているのが
うっすら見える。

ああああああ
なんかやっぱ否定的になるってつらいな

でもそう見えてしまうんだよな

遠くへ行きたければ他者と手を取り合う必要がある?

確かに、より遠くへ、より高いところへ
行こうと思ったら、一人の力では
どうにもならないこともあります。

ですが、やはり個人の力を強くするために、
個人的な修練というか、個人的な努力というのも
必ず必要になってきます。

要は個の力も集の力も大事っていう
話に落ち着くのですが、

でもやっぱり個の力をまずは強くする
ことにこだわりたいと思います。

まずは個の力を鍛えて、
その後で集の力に切り替えた時に
大きな結果がのこせるのわけです。

いや、まあどっちが先とかもあんまりなくて、
やっぱり両方同時に大事だなっていう
気もしてきました。

ちなみに、皆んなで力を合わせてやっていくんだ
ふぉー!ってなってる集団見ると私も
ちょっと冷めてしまうタイプなのですが、

でもああいうのに憧れるところもあるのは
確かです。

いっそああやって舞い上がって
身も心もみんなとつながる感覚って
味わったことないから、

でもきっと大事なんだろうなとも
思うので、「憧れ」として
写るのは確かです。

いや、結構みんな違和感は感じている
のかもしれません。

中高でクラス活動するときなんか
とりあえず皆んなと仲良くしておくのが
先生たちや、周りの大人から評価もらえるから
取り敢えずそうしとこ

ってなってたよなー

なので私たち世代にとっては、
他者と手を取り合って何かを
するのは「憧れ」の状態として
あるにとどまっているんじゃないかと思います。

実際に一丸となってチームプレイしている
人達ってそういうこと一言も
言わないんじゃないかと思います。

ただ淡々とやるべきことはなにか
おさらいし合ったり、お互いがどう動くか
打合せするだけじゃないかな、とも思いました。

皆んな一丸となろう、とか
一つになろう、ってのは
やっぱり今そうなってなくて

目指されるべき「憧れ」だから
殊更に叫ばれるわけです。

薄々そういうことが分かっていて、
でもそこらへんが言語化できなくて、
とりあえず一歩引いたところから斜に構えるか

いっそあっけらかーんと
皆んなと仲良く共同仕事に取り組むか

どちらかになっていたなと
今になって思います。

責められてる感じがするっ!

今日、あれやっといて、これやっといて
ってまた上から目線で先輩に言われ、
反抗心なるものが去来しました。

指示を受けるのは当たり前なんですけど、
でもなんでこんなに一つ一つの指示が
刃のように突き刺さるのかよく分かりません。

その指示が雑用に近ければ近いほど
心の乱れがスゴイんです。

ようはあごで使われる感じがいやなのかな?

あらかじめ言われる前にやっておけば
気分害することもなくなるのかもしれないですね。

そこは気付きませんでした!って
素直に受け止められたりするのかな。