2021年 4月 の投稿一覧

お金と自由

お金を払って何かを得る場合、
痛みがともないます。

来月あの新刊が発売されるけど、
今目の前にある買いたい漫画買ったら
来月買えない…とか葛藤しますよね。

そして決まって、
「余るほどお金があったら自由に
買いたいものを買いたいときに買えるのになあ。」

と思い悩みます。

お金があれば自由になれると思う理由はここにあり、
どこを選択するかで迷わなくなると思いまs。

売り方を考える

売り方を変えるだけで大ヒット

そんな話がてんこ盛りなマーケティングの本を
読み進めています。

人間の心理の分かりやすさにも
辟易するものがありますが、

本当にうまく刺さるコツさえわかれば
売れてしまうという
なんとも悲しい人間のパターン化された習性をみることができます。

届けるということを
深く考えさせられるわけですが、

つくづく分からないなと思います。

ただ、思ったのは、
届ける前に差し出し方を考えているなと。

届いてしまったら自己満足で、
そこで終わりですが、

差し出されたものは強引さがないし、
相手の前にきちんんと差し出されます。

なので、届けると差し出し

どちらを大切にしたいかと言われると
差出すような
オファーがいいなと思いました。

メディア(媒体)に応じるということ

集客装置として
動画サイト、ツイッター、ブログ、インスタ等
への投稿を考えているわけですが、

それぞれで投稿するとしたらどんなコンテンツ
載せるか考えてみたのですが、

なんとなくそれぞれ
情報発信のテーマを少しだけずらしたくなりました。

皆さんも変えたくなった経験ありませんか?

私はまだこのブログからしか投稿した経験が
ありませんが、これからそれらのプラットフォーム
に手を出そうと考えると、

軸は哲学・思想系になると思いますが、
投稿するコンテンツちょっと
変えたい…

そんなことを思いました。

例えば、ツイッターなんかは
短い呟きなわけなので、

詩をつくってみたら面白いんじゃないかなんて
思ったり。

詩を書くとなると必然的に
需要のある恋愛とそれにまつわるコンテンツ発信の仕方
とかになりそうな予感がしますが…

インスタなら自分の好きな色(青)の
ものばっかり載せてみたいな、とか。

文化や雰囲気についてしょっちゅう考える
のでデザインでコンテンツつくるのは
どういうことか考えさせる投稿してみたいと思ったり。

動画はまだいまいちピンときてません。

こうした思惑が出てきたことから、
やっぱり「媒体」に影響されて
コンテンツが作られる場合があるなと思いました。


「媒体」となるプラットフォームはことさらに
意識することはないけれども、
それぞれの特徴を生かそうとするせいか、

どうも無視できないなと感じています。

現に私が参考にしている情報発信のプロも
それぞれですこしずらして使い分けしているみたいで、

メインのビジネス教育系というところは
変わらないのですが、

一番前にもってきてる
コンテンツがそれぞれ違う印象です。

各媒体とのうまい付き合い方
を模索していきたいと思います。

深みの研究

話しが深い、浅いって簡単に言いますが、
この違いって実はよく分からないので
考察をば。

哲学は深いです。
間違いなく深くて、だからこそ
人にドヤ顔したりできます。

大学で哲学を専攻していましたが、
いかに周りに哲学的な思索でドヤ顔するか
みんな一生懸命になります。

でもそれが「深み」を帯びる理由って考えたことありますか?

哲学は単にそれまで固定的だった考え方や
型を破壊するような問いが生成され、

その問いがさらにまた壊されて問われるわけですが、
単に新しい見方を提示しているだけなのに
深みというものが伴っていくのが不思議でした。

本質的な、原理みたいなものに近づけば
近づくほど深いと言われます。

こう考えると、

逆に普段は深くないんだー
と思うのですが、それはさておき、

では原理的とか本質とか言われることがらは
なぜ深いのか。

それは誰にとっても当てはまる
普遍的なところがあるから、という理由が
挙げられるかと思いますが、

でも誰にとっても当てはまるから
深いというわけでもないです。

やっぱり普段意識しているようで意識していない、

そんな「潜在的」な部分まで深化している
感じがするから深みなんだと思います。

贈り物の条件

贈り物(プレゼント)についてです。

そういえばプレゼントがプレゼントたる
条件は何かと考えると

贈られるはずではなかったものが
与えられるという時に

贈られれたものがプレゼントになります。

贈る側は準備していて、
贈られる側がふいにプレゼントをもらう
という、サプライズ性とセットになってます。

「プレゼントが3日後に届くよ」と
あらかじめ伝えられていても、
それを伝えられたときは突然なので、

おもいっきりサプライズではないけれど
サプライズ。

さらに、お金がいらいないというのも
一つの特徴です。

確かにお金をかけるときは自分の
意志でこれをもらう!と決めるので、
お金発生したらプレゼントじゃなくなります。

このようにみていくと、
どこまでもプレゼント受け取る側は受動的です。

この受ける一方、というのがつらくなる
ときがやっぱりあるのですが、
それはまたもう少し考えてから書きます。

どこにも属さない生き方に憧れています。

文章力を磨こうとしているのも、
本を読んで思考を鍛えているのも、

すべて遊牧民(ノマド)
でいられるための強力なスキルだからです。

悠々自適さを身に付けるために必要だから
今奮闘してるとも言えます。

ですが、この属さない生き方というのはいったい
何なのでしょうか。

属している、属していないという感覚は
どこに由来しているのか、考えてみたら
分からないなと。

最適な場所、最適な環境をいつでも選択できる、

そんな生き方は悠々自適だなと思います。


縛られて自由がない感じがすると、
「属している」感覚があります。

最適なところに行きたいけど、
社会的なしがらみや、生活できない事情が
邪魔してきて辛いというあの感覚です。

自分自身が属しているところと
共にあらなければならないという
義務感が「もう無理」ってなります。

かつてアカデミズムの場(大学)にいたわけですけど、
そこでは自分が何の専門家で誰それ先生のところで
学んでいて、という属性が意外に問われる場面がありまして、

これを自己紹介の中で伝えるのが結構辛かったです。

なぜって、これといって自分の専門について語れることがあるか
というと疑問なので、うしろめたさいっぱいになっていたからです。


いつも逃げたい逃げたい思いながらの
自己紹介タイムになるのがオチでした。

正直こういう「特に何も言えない」
という姿勢はよくないですし、なんとか
はっきり軸を持つべきだったと後悔してますが、

将来的にずっとその認識持たれる中で
で自己紹介しつづけるのは辛いなと思ってます。

ただ、辛い事ばかりでなく、所属している状態では
何かをするときに役に立ちます。

どこの誰かが分かっていると人は信頼するので、
自己紹介をして、オファーを出したら
自分がやってほしいことを行ってくれるようになります。

その意味で所属を明らかにすることは
社会的に重要で、
むしろ勝手に決まってくるものです。

結局どこに行きたいか

どのような内容の文章を書きたいか

良く迷います。

ですが、すべてにおいて言えるのは

どこか新しくて価値があって、
再現性が高いものです。

ネタが生まれるとき

今日は特にネタがありません。

でも、つくづくネタが泉のように湧き出る
ときと、そうでないときの違いって何だろうと
疑問に思います。

仕事に忙しいときは
出ないよなと思います。

今日なんかは特に、細かくて
大変です。

お金を稼ぐこと

考えてみますと、

お金を稼ぐことが悪いと思うのではなくて
お金を稼いでその先どうするかがしょうもないと

もとめられて、いるならいいですけど。

歓待について再び

うまくいくかどうか知りませんが、
また歓待について考えたので書きます。

まず、なぜ敵かもしれない、
自分を壊しに来るかもしれない
相手を迎え入れる気になるのか

まったくもってナゾであります。

いつも同じ人と同じような
会話をすることが私の理想ですが、
ビジネスする上ではやっぱりそうもいかなくて、

ぐいっと輪の中に入り込む
頑張りも時には必要です。

特に書くことないけど
レポート書かなきゃならなかったり、

お客さんから依頼きている
の無視できなかったり、

えいやと入ってしまえばいいとは
言われますが、入り方わかんないし、

もうこれ以上文章が出てこない
ということになって、

本当にもうコミュ障は生きづらいです。

だって自分が壊されるかもしれないんですよ…

それなのに凄い人は相手と直接話したり、
そうでなくても長文書いてメッセージ性高い
コンテンツつくったり。

なかなかやっぱりできるものではないかと
思いながら、

どうして他者を迎え入れられるのか。

結果、迎え入れないといっても
一旦は相手の話を聞いたり、
自分がオープンになることあると思います。

で、考えてみましたけど、やっぱり
自信がないけど自信がある状態にいる
からそれができるんだろうなと。

覚悟が決まるということは、
わからなさがわかる、
何が出てくるかわからないけれど

それがわかる自信からくるのではないかと
思いました。

と、こう考えても会いたくない人に遭遇する
恐怖はつきまといますけどね。

とにかくたまに書くきにならなくなる
ときはこういうビビりになっている
時で、辛いときであることご了承ください。