気配りは心配り?

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気配りについてです。

これって本当に大変だなと思います。

私はこの頃会社で攻撃されてますが、
その最たる理由が

「気を配れないから」

だと思ってます。

自分でも何故気を配れてないのか、
よく分からなくて
七転八倒してるわけですが、

この頃なんとなく掴めてきました。

気配りの実感

下っ端は下手すると経営者より
気配りや全体を見る目が必要です。

うまく、スムーズに仕事が流れるように
あらゆるものごとに
気を遣い、気を配ります。

初め、
この気配りが必要なことに気づいたとき、
すごく嫌な気分になりました。

だって毎日毎時間毎秒
気を配ってないといけないなんて
なんという労働量だろう、と
ものすごく嫌になりました。

しかも、それがいつ終わるか分からない、
そんな役回りだったから

本当に投げやりになって、
逃げ癖がついてきたと思います。

気配りに心は必要か

でも、この「気配り」ですが、
意外に習慣になれば問題ない
ということに気づきました。

よく、この「気配り」は
心遣いと一緒にされて、

他者に対する思いやりということが
問われるかと思います。

でも、実感としては、
けっこう技術的な、
型にはまったふるまいの方が近いです。


とりたてて人の役に立ちたいとか、
補助してあげなきゃとか、

そういった心の部分はほとんど
意識されてなくて、

どちらかというと、張っていた
「気」の流れが遮られないように
自動的に対処する

という感覚に近いです。

意外にマインドがどうの
ということよりも、

いかに技術的に行動を
修正するかという点
が大事だったりする典型的な例になるのではないか

と思った次第です。

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