聴くことの能動性

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聴くということについて
考えていきたいと思います。

聴くことは一見受動的であるかのように
みえますが、実はとてつもなく能動的な
営みなのではないかというお話です。

アイデア出し、ブレインストーミング的な
ことを会社でしました。

企画立案の会議があり、
考えてきたアイデアをもちよって発表する場です。

そして、予想通り
皆ぎこちない感じで
発言したり、しなかったりの状態でした。

ここですごく問われたのは
じっと発言する人の話を聴くことでした。

とても根気と、辛抱強さが
要求されました。

この中で意識されることがありまして、
聴く側にもある程度の体力が
要求されているということです。

どういうことかと言うと、
適切な時に適切な合いのてを
入れられるかどうかということです。

出てきそうになる言葉を、
まだ言語化されていないような言葉を、


まだ表に出てきていない言葉のうごめきを
聴くということ。

これが聴く力だなと。

聴くということはひたすら
相手の発言に集中することだと思ってましたが、

相手の発言以前のことばに耳を貸すという
とんでもない労力を必要とする行為でした。

ものすごく体力を使う行為だと思い始めました、

そして、その発言以前のことばの
ごちゃごちゃを目の前の相手と一緒に
体感することなのだと思いました。

「待つ」という受動的な言葉で
あらわされることが多いですが、

ところがどっこい

相手の言葉にならないことばを
聴き分けにいく、というとても
積極的な事態でした。

そこでうまい具合に合いの手を入れたりして、
受け皿になったりもする。

そういった機敏な動きも必要とされる
体育会系な出来事でした。

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