自立・依存を問うということ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

その人が自立した人か、
はたまた依存体質かどうか、
これははいったいどこで判断されるのでしょうか。

どこで判断されているかというと、
単に取り組む姿勢というか、
正直「見た目」だと思ってます。

よくやる気がないとか
意欲がないとか言われます。

これなんでかなー
って考えた結果、

単に嫌そうな感じかもし出したり、
投げやりだったり、
相手に遠慮なしに仕事投げるからです。

そんないい加減な気持ちでいると、
それが相手にも伝わり、
相手に依存してるとみなされます。

面倒だから責任を押し付けているな、
と悟られたらもう依存体質の
烙印が押されます。

では、自立しているとみなされるときは
どういった場合でしょうか。

相手に誠意が伝わっているときや、
努力していることがわかるとき。

出来ないかもしれない
けれども自分でやってみよう
とする姿勢とかでしょうか。

この、
どうなるか分からないけれども
相手が困らないように

努力しているかどうか、
それが見られるのだと思います。

ところで、
また別の視点で考えてみたら、
私たちは圧倒的な依存状態にいるともいえます。

みんな地球上のこの大地に
完全に依存してるし、

生まれてきたのだって
自然の法則に依存して、
なされるがまま生まれてきました。

本来、私たちは
依存体質の方がが強いとも言えます。

そして、ここまでくると、


そもそも自立しているか
依存してるかが
場合によって異なるということは、

そもそも問うことができない
テーマかもしれないな、と思えてきます。

なので、結局はどう見えるか、
どういう姿勢がその場で求められているか
相手の立場次第なんだなと思えてきます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA