キャラとか役割とか

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キャラを作ろうとする
ことについてです。

キャラは作ろうと思っても
作れないなという話をしようと思います。

あの人のあのキャラいいなと言うとき、
たいてい自然に出来上がったものだと思うのです。


キャラは作るというより勝手に
そうなった結果である場合が多いと考えます。

キャラと同じような言葉で
組織で生きる上では免れない「役割」がありますが、
どちらも作られようとするけれど、

うまくはまったキャラなり役割なりは、
「勝手に」できた感覚の方が強いのではないでしょうか。

「キャラ」も「役割」も、
作るものではなくてすでに出てきたもの
すでにそこに生まれていた関係ということを忘れてしまいがちです。

自ずから出てきたものであって、
軌跡を辿って形を描くと役割とか
キャラとかが浮かびあがっただけの話しではないかと。

そう思わないで
キャラや役割は作るものという考えでいると
おかしいな、役割分担上手くいかない…

となると思います。

始めはただ意図的に
役割分担して、
やってみて


そのあとであの人はやっぱりこれと逆の役割がいいとか
そんなのがあとから分かることもあったりして、
意図的に配置してみて勝手にわかることです。

とにかく役割作って
それで固定的にとらえると
役割の変わり目がみきわめられなくなります。


役割についてもっとみていくと、


具体的には
まとめ役とフォロー役があります。

誰がどちらに向いているとか
決めつけずになんとなく
誰がリーダーかそうでないか

おのずとわかってくるところが
あります。

個人的な感覚を言えば、
フォロー役はしんどそうですね。

出来ない人、置いてかれる人。
人のこと見ないといけないので
寄り添いがかなり必要です。

でも明らかにリーダーが見えていない
ところがみえているということもあります。

会社にて、アイデア出しの企画会議はどんどん
形にする方向で話がまとまりつつあります。

こぼれ落ちていく
アイデアもたくさんあります。

形にするとは
形にするに必要なもの以外を切り捨て
ますから自分のアイデアに思い入れある人は

窮屈さ感じるかもしれないな、
と思いました。

そんな人たちにとって、
リーダーはまとめあげるために
切り捨てをするから、

ちょつとした極悪人に見えます。

私も大学生時代、
サークルとか、バイトでリーダー
やったことありますけど、苦手ですね。

目立ちもしますから。

皆んなに一挙手一投足
批評されてるみたいなので。

皆んながつくろうとしている
ものに迎合できない人、
これをどう拾うかが暗黙の裡に問われているかのような気がします。

このように、どんな人がリーダーに
向いているいないとかは、


いろんな立場や役割を経験する中で
わかってくるものなので


キャラとか役割とかは
「動き」をもっている、
そう肝に銘じておいた方がいいなと思いました。

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