2021年 8月 の投稿一覧

自由?―第五弾―

いよいよ「自由」なんて
定番のテーマでやってるのが
こっぱずかしくなってきましたが続けます。

社会的な自由ではなくて個人の中の
内的な自由がテーマですが、

その場合いつも引き合いに出される
事柄を取り上げるのを忘れていました。

それは、たとえ周りがその人のことを
「不自由だな」と見ていても、

本人が自由だと感じたならば
それは自由だっていうあの心の自由です。

学ランのボタンは一番上のボタンまで
しっかり留めないといけないとか、

朝は先生にあいさつしなければならない

とか、学校でしつけられるあれらの
規則を窮屈だと感じたならば
学校生活が自由だとは思わないですが、

それらの規則を守るのに
窮屈さを感じないのであれば
「自由」をそれとは意識せずに享受しています。

窮屈さ、「不自由さ」を感じたら
はじめて「自由」が求められるわけです。

なので、それほど「自由」を欲さない状態こそが
自由なのであって、

であれば、いかなる理由であれ、
自由を欲する場合はいつまでも自由になれない、、、

というのは飛躍しすぎでしょうか。

いったいいつから

いつからか、自分はお金をたくさん稼ぐ
能力はないなんて思ったのだろう?

今現に稼げていないから…

自由?―第四弾―

はい。

第四弾です。

コントロールできるって意味で
「自由」であると思い込んでいる
っていうところでした。

確かにコントロール、自由自在なので
そうですが、

ただ、同時「自由」って言葉には、
「楽」、とかやりやすさみたいなものも含まれていて、

それにもかかわらず
忙しいけど「自由」な人には
この「楽」さとかやりがいみたいのが
見いだせない、と個人的には思います。

話がずれてきますが、
確かに枠組み上は自由なのでしょうけれど
実際そういってる本人は「自由」を味わっているかというと

そうでもないので、
だからこそ今の会社でしっかり
重要な役職もらったり、責任ある行動取ることが嫌なんです。

誤解の無いように言っておきますが、
責任取らないって言ってるわけではなくて、

そこはちゃんとしますけど、

要は殊更に「オレは自由だ」って言われたとしても
特に響くものはないってことです。

自由?―第三弾―

全然「自由」じゃないのになぜ
「自由」だなんて言って責任取らせるのか。

でも、やっぱりそこには「自由」っぽい何かが
あって、それを主張しているってことになります。

では、この仮の「自由」の正体はというと、
やはり広範囲にわたって、自分のコントロールが
効いてくる感覚があるからでしょう。

以前よりも自分のやりたいことができる
ようになって、環境がよくなったとか。

自由?―第二弾―

自由の原理についてあまり詳しくないので
これまた個人的な因数分解にはなってしまいますが、


ここでひとつ、よく語られる
「労働からの自由」ってやつについて
見ていきたいと思います。

まず、「労働における」とか言っときながら
これであってるのかと実は不安がありまして、

この「自由」について考えるきっかけに
なったのは、「責任」とか「マネジメント力」とか
そういう話の流れからです。

以前に、全体的なマネジメントができる人は
自由か?って話をしましたが、

今回もその延長だと思ってください。

先週、また仕事でミスってしまって、
そのミスに対してどう責任を取るか問われる場がありました。

責任をとって、どうかたをつけるか
考えて実行する人は自由が与えられる…

みたいないつもの話を上司にまたもや
滾々と説教され、

まあーなんと言いますか「自由」と「平等」でしょうか?


「平等」はやっぱり広がりすぎなのかもしれませんが、
ここでは関係者みんなが不利益にならないように
マネジメントすることと捉えてください。

まず、「自由」ってのは
人間だれしも実はあるもので、


今仕事をやめるのも、続けるのも完全に
個人の自由でできます。

ですが、いずれの道をとっても
不利益を被るので
「自由」が無いなあ、と感じてしまいます。

もともと皆「自由」ですが、
どの行動を取っても「不快」がともなうので
硬直状態になり、悠々自適さがなくなったと感じられます。

ここで「不自由」な身の上が実感されて、

ああ「自由」が欲しい…

となり、「ここではないどこか」を探し求めるようになります。

「自由」は求められるものなんですね。

では、責任を取ったり、取りまとめ
ができる人はこの「自由」な状態
かというと、決してそうでありません。

もちろんすべてのものごとを一般化すること
すはできませんが、少なくともウチの上司は
「自由」そうには見えません。

本人は自由だ自由だいうてますけど…

毎日お客にせっつかれて、
時間が無くて、社長にも売上どうなってるのか
つつかれて、仕事のできない私みたいなのの世話して…

不自由以外の何ものでもないように見えます。

ですが、ですが、
それでも「自由」と主張したくなるのはなぜか?

これがポイントだと思います。


職場で感じたあの痛みが…

職場でけなされ、笑われ、卑下される

あの時の屈辱がもう去っている

のど元過ぎてもうどこか行ってる

皆誰かの真似をしている

結局、
自分の考えなんてのはなくって、
皆誰かが言っていることを

自分の言葉で咀嚼して
伝えているだけだな、って思いました。

それというのも、自分独自の思考だぜ
って思っていても、結局それはあまりにも
気弱でもろいからかもしれません。

HPを何とかしたい

お盆休みにはこのHPなんとか
生まれ変わらせたい。

です。

ほんと雑記ブログにしても何に
しても難しいですね。

「私」と「あなた」

いやーーー

ほんと私は仕事ができません。

これまで生きてきた中でやらかしてきた
色んなことがフラッシュバックして

今回ミスって怒られたことだけじゃないな
ってなってすごくなえています。

でもほんとにそんな私がここまで
恵まれた環境で、恵まれた人たちに逢えたのは

ひとえに私の力…

では決してないな、と思っています。

色んな人に支えられて
生きていられるので
ほんと奇跡的だなと。

今この「私」が「私」をやっているって
事に対してすっごく驚くことってありませんか?

たぶんその驚きは
別に私が「私」でなくてもよかったのに
何故だか分からないけれど「私」をやれている
事に対する驚きなんだと思います。

この驚きと、あと不可思議さに触れた時、
自然と人は「あなた」に対して頭を垂れるのだと思います。

ネットDRMに対する違和感と期待

いよいよ本格的にネットDRMと向き合いたい
ので、思いのたけを綴って、
これに対する考えを整理していきたいと思います。

まず、このネット上で行うDRMの手法を知った時、
やはり違和感が先に来ました。

個人が売れる商品が限られている印象があり、
「情報商材」というなかなか原価が分からない
商品を売る方法が主流だったことに対してです。

「何でも個人で自動で売れるわけじゃないんだ…」と
少しがっかりした覚えがあります。

How to を売るのかぁ~

と、一番苦手な売りものだなって
思ったのは事実です。

どうして苦手だったかと言うと、
そんなHow to に対して、あまりいいイメージ
をもっていなかったからです。

小手先のテクニックを知って、使って
それで満足する世界に
あまり奥行きとか深みがなさそうに見えて

なかなか前に踏み出せない、
という状況が続きます。

多分、これはDRMの仕組みをネット上で
作る人があまりいない理由の一つかなと
思います。

まあ、要するに、
無料でも出ているような
情報を高単価で売るなんてうさんくさい

でも、憧れのメンターみたいに
なりたい、

そんな葛藤にもだえているということです。


何かを売るっていうのは、
人に商品の魅力を伝えて、
商品を使ったり、味わったり、経験
してもらって、いい思いをしてもらうことが目的です。

価値が提供できていれば大丈夫です。

そこではたまたまお金と引き換えに
なっているってだけです。

なので、人に魅力を伝えて
一緒にいい思いするのって
うさんくさいどころかいいものなので

よさそうな情報商材なら
買ってみても、売ってみても何ら問題はない

どころかむしろ価値が提供されて、
それを味わえるわけです。

そもそも、一般的な教育現場では
教えることと交換でお金を得ているわけですが、

いっぱしの教育機関なら
イメージが良くて、それ以外はうさんくさい
っていうのはよく考えると分からないですよね。

なのでうさんくさくない、
信頼されるような教育を
すれば問題ないのでこのあたりはDRMで期待すべき
ところだと思います。