空っぽな生き方に憧れてきました。
天然とも言えるような、
空っぽであるがゆえに、どんな
ものでも受け入れられる、
そんな生き方です。
のらりくらりと
空っぽであれば
楽だし生きやすいかなと。
自分が空っぽで
色んな人のパイプになって
うまく器として機能してるっていうのに憧れてたんですけど、
どうしてもそんないい感じのアホには
なりきれなかった悲しさがあります。
こんな人生を生きよう、
と理想をかかげたところでもう
天然には生きられなくて
逆に自分の「身重(みおも)」
なところが意識されて
辛くなるという感覚です。
最近、これは女性の身体を持っている
というところとも絡んでくるような
気がしているんですが、
逆にいよいよ「身重」に
なることが人生の方から
求められている
そんな感じがこのごろします。
「身重」になるとはどういうことかというと
責任を負う、とか人の面倒をみるとか
身近なところで言うと
ちゃんと家事やら後片付けを
しなきゃならないということだったり
仕事だったら、もっと
重い責任ある仕事だったり、
めんどくさい事後処理だったり
それ自体にはまったく
華がなくて、地味な、けれども
だれかがやらなきゃならないものを背負わなきゃならない
そんな辛さを実感します。
でも、それを背負うことでまた
新たな人間性のようなものが
生まれてくるんだと思います。
といいますか、
そもそも元からそういう責任
って誰でも背負ってるもので
それにしみじみ気付くか気付かないか
の違いでしかないんですけどね。
そろそろ
背負うことの原理とか、
責任論にでも手をだそうかなと思う今日この頃です。
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