お客の心を掴むことによって
商品が売れたり、取引がうまくいったりします。

お客の欲しいものを理解して、
思い通りに商談が進むことがいつだって理想です。

しかし、
この「お客の心を掴む」とはいったいどういうことでしょうか。

特にこの「掴む」という表現に違和感を覚えたので
一度因数分解していきたいと思います。

「掴む」という言葉は何か確かなものがあって
それを手で持つ、かかえる、保持するという
意味合いがあるかと思います。

分かりやすい例だとボールを掴むですが、
比喩的にも成功を掴むとか言いますね。

今回の、心を「掴む」という表現においても
この比喩表現として使われ、
実際に手にすることができるわけではないけれど、

自分で手にした確かな感覚を表現するために
心を掴むと言います。

確かに、ビジネスシーンにおいては

戦略を練って、相手の裏をかき、
スキを突き、自分の導きたい方向に話をもっていくには
どうしたらいいかを考えるので、

それがうまくいった時には
相手の心を「掴んだ」という感覚になるのは確かです。

私も、自分のビジネスや今後の展望について
理解してもらいたい人がいたんですけど、

その人にやりたいビジネスの価値や可能性を理解してもらえた
時には「カチッ」と相手の心を手にした感覚になりました。

でも、掴むという言葉に含まれるこの
一方的な感じ。

この一方的な感じがなくって、もっと「調和」に近い
感覚でした。

もっと言うと、「掴む」というより、うまく寄り添えた
感覚に近いです。最後に良い具合にまざりあうような。

どうしてもビジネスの取引になると
戦略を練って駒をうまくうごかすこと
に目がいきがちですが、

実際人間相手だとそこまで機能的な感覚はありません。

なので、お客の心を「掴む」という
感覚は合っているようで
いまいち一方的な表現だなと。

もっと相互に混ざり合うような
そんな感じの「調和」の方が、
お客の心をつなぎとめた時の感覚に近いのかなと思いました。

別にビジネス上関係ないような、
どうでもいい言葉の遊びじゃないか

と思うかもしれませんが、この視点からみると
なかなか人間関係が深くなんじゃないかと思います。

このお客の心は「掴む」ものではなくて
「調和」する、という姿勢で対峙すれば、

どのように、相手のいいところと
自分のいいところが混ざり合うか
その交差点を探しに行くのではないでしょうか。

手を伸ばして掴みに行くと思いきや
逆に相手の良さを引き出して、

掌で遊ばせることがお客に寄り添う、
ということだったりします。

相手の魅力を引き出すことが「調和」に必要な条件
であることが分かりました。

ちなみに、ここで間違えてはいけないのは、
「調和」しに行くべき
と言っているのではなくて

よく観察するとこうなっているよ、という
ことでしかありませんからね。

人の心は「掴む」「掴まない」ではなくて
「調和」するものという見方をすると

ちょっと違った視点で
嫌なお客さんとも話せるかもしれません。