昨日と今日
人それぞれ掃除の仕方と頻度が
違うということについて
考えさせられることがありました。
昨日はどういう流れでか知りませんけど、
職場の営業部長が、
一般的に不潔と思われるものが
一つも不潔に感じないところが自分の問題だー
なんてこと言っていて、
私もどちらかというとそっちの人なので
これに関しては共感する部分あるなと思いました。
いや、厳密に言うと、汚いものがすごく
嫌いで、嫌いすぎるから見えていないことにしていて、
だから結果的には部長と同じになっている…
職場の先輩たちに比べたら、
私は汚いもの放置することの方が多くて
結果的に掃除できないヤツになってます。
なので掃除の頻度などについては、
あんまり部屋が汚くても気にしない人
とやってることは同じです。
この頻度や細やかさの違いで先輩と
そりが合わず、心苦しく感じることが
多々あるのは事実です。
でも、
そう思うと同時に、
このような問題に関しては
コチラ、不潔さが分からない側
の問題点としてのみ考えられているという
構造が潜んでいること自体も問題なんじゃないかと気付いて、
少し立ち止まって考えてしまいました。
立ち止まっただけで
まだあまりまとまってないので
ここらへんで一旦終わります。