思考はつくづく断片的なものだなと
思います。
いったい何がどうなって思考が文章になるのか
ふと疑問に思うことがあります。
今日はこの思考の断片的なところについて
なんとなく考えてみました。
まず、思考が断片的なのは
感情に左右される、
感情の浮き沈みに左右されるところが
あるからなのではないかと
思います。
ふっと浮上してきては
また沈むのは
わたしたちの感情と
結びついているからかもしれません。
思考というと、
論理的で、整合性のとれた、意識の
流れだと思われがちですが、
実は感情とつかずはなれず
の関係なのだと思うときがあります。
現に、人を動かす
マーケティングの本などには
感情で人は動いて、
根拠で人は信用するという
鉄則があるわけですが、
まったくその通りだなと思いました。
感情だけでもだめで、
根拠や理屈だけでも人は動かない。
なので両方刺激する情報が必要となります。
さらに、思考の断片的なところをみていくと、
断片なので脈絡がない
ことになります。
そもそも脈絡とは何か考えてみると、
人に分かりやすく思考を伝えるための
ものであって、
思考をわかりやすく
加工した状態が脈絡のある
思考なのだと思います。
しかし、ここで考えてみたいのは、
脈絡があるというとことは、
まずはじめに
「脈絡がない」状態のものが
なければならないということです。
ようするに、
断片があって、それをつなげることで
初めて脈のある話になってきます。
パズルが完成するためには、
パズルがそもそもピースになっていなければ
パズルと言えないように
思考も断片でないと
脈をつくれないし、
論理立てて語れません。
さらに続けると、
この断片を単なる
無味乾燥な断片でなく、
味わいのある断片に
変えるのは「つぶやき」です。
断片に感情的な要素をのせて
ぽろりと言葉にする「つぶやき」は
実は思考の原型的なところを
突いているのではないかとも思えてきます。
ツイッターが流行る理由は、
こういった人間の思考の本質的なところを
だれもが予感しているからかもしれません。