話しが深い、浅いって簡単に言いますが、
この違いって実はよく分からないので
考察をば。
哲学は深いです。
間違いなく深くて、だからこそ
人にドヤ顔したりできます。
大学で哲学を専攻していましたが、
いかに周りに哲学的な思索でドヤ顔するか
みんな一生懸命になります。
でもそれが「深み」を帯びる理由って考えたことありますか?
哲学は単にそれまで固定的だった考え方や
型を破壊するような問いが生成され、
その問いがさらにまた壊されて問われるわけですが、
単に新しい見方を提示しているだけなのに
深みというものが伴っていくのが不思議でした。
本質的な、原理みたいなものに近づけば
近づくほど深いと言われます。
こう考えると、
逆に普段は深くないんだー
と思うのですが、それはさておき、
では原理的とか本質とか言われることがらは
なぜ深いのか。
それは誰にとっても当てはまる
普遍的なところがあるから、という理由が
挙げられるかと思いますが、
でも誰にとっても当てはまるから
深いというわけでもないです。
やっぱり普段意識しているようで意識していない、
そんな「潜在的」な部分まで深化している
感じがするから深みなんだと思います。