いよいよ「自由」なんて
定番のテーマでやってるのが
こっぱずかしくなってきましたが続けます。
社会的な自由ではなくて個人の中の
内的な自由がテーマですが、
その場合いつも引き合いに出される
事柄を取り上げるのを忘れていました。
それは、たとえ周りがその人のことを
「不自由だな」と見ていても、
本人が自由だと感じたならば
それは自由だっていうあの心の自由です。
学ランのボタンは一番上のボタンまで
しっかり留めないといけないとか、
朝は先生にあいさつしなければならない
とか、学校でしつけられるあれらの
規則を窮屈だと感じたならば
学校生活が自由だとは思わないですが、
それらの規則を守るのに
窮屈さを感じないのであれば
「自由」をそれとは意識せずに享受しています。
窮屈さ、「不自由さ」を感じたら
はじめて「自由」が求められるわけです。
なので、それほど「自由」を欲さない状態こそが
自由なのであって、
であれば、いかなる理由であれ、
自由を欲する場合はいつまでも自由になれない、、、
というのは飛躍しすぎでしょうか。