以前、「何ものか」になるには、
それ以外の「何ものか」になることを
捨てること…といったような
ことを書きましたが、
今日はそこからさらに今思うところを
つらつら書いていきます。
私事ですが、今年の7月で29歳になります。
歳月が経つのははやいもので、
よくある話ですが、まだ気分は
高校生のままです。
でも、もうすぐ30歳になるためか、
実感していることがあります。
それは、どんどん
「何ものであるか」が
決まってきているな、という感覚です。
20歳くらいのときは
なんとか価値ある人間になろうとして
自分は「何ものであるか」を探すのですが、
この歳になると、
「何ものであったか」の振り返り
をするようになるなと。
そして、あれ?「何ものか」に
なってるじゃないか!って
気づきます。
あんなにあこがれ、求めた
「何ものか」に
なってしまっている!?
しかもその「何ものであったか」は
別に自分で探して得たの
ではなくていつの間にか
そうなっていたという感覚です。
やっぱり「何ものか」とは
自分で決めたり、探したり、求めたり、
するものではなくて。
おのずとそうなってくるもの
なんだなと。
もっと言うと、
この「おのずから」は
ほんとうにおのずから
なのであって、
自分で意図して「何ものか」
になった感じはしません。
同時に
他者、あるいは世界、あるいは社会
から問われて問われまくった
果てにこうなった、という感覚もあります。
初めは自分が「何ものか」問うていたのに
他者の問いになって「何ものか」になっていた
というどちらが問いの主体なのか
分からなくなって
ぐるぐるめまいのする感覚です。
「何ものか」を問うている
主体と客体が入れ替わったり、
もとに戻ったりして
ぐるぐる回って
結局両方とも違いがなかった、
ってなるところに「何ものか」が
現れるのかもしれません。