よくわからない哲学書を読みます。
よくわからないので初めの章を読んで
終わるということがよくあります。
ですが、どうもやっぱり
これら難解な書物を理解しようとすると
その人の文体と呼吸を合わせる必要があります。
頭で考えてもだめで、
リズムがなんとなくわかることから
理解がはじまるなと最近思いました。
よくわからない哲学書を読みます。
よくわからないので初めの章を読んで
終わるということがよくあります。
ですが、どうもやっぱり
これら難解な書物を理解しようとすると
その人の文体と呼吸を合わせる必要があります。
頭で考えてもだめで、
リズムがなんとなくわかることから
理解がはじまるなと最近思いました。
いやあ、
やっぱり理念を語れっていいますし、
同時にストーリーを考えていくように
なったとしても
同じような生活を送るだろうと思います。
ここで何が言いたいかと言うと、
幅をひろめるためには
ストーリーが必要で、これを考えるには
やっぱり時間がかかってしまうんじゃないかと
本当に部屋の散らかり具合の
許容範囲は人によって
まちまちで、
私なんかは割と気にしない方らしいです。
職場では下っ端のわたしが
片付け、掃除をまめにやらなきゃならなくて
やってるつもりでも
先輩からしたらまだまだイマチきれいに
なってないらしくて
仕事できないヤツのレッテルを
また貼られるわけです。
キリがないと言えばそうですが
この整理整頓されぐあいの違いが
いろんな思考回路の違いと比例するのかもしれません。
雰囲気を買いに行くことありますよね。
同じコーヒーを飲みに行くのに
わざわざ一杯の値段が高い方でも
おしゃれな喫茶店ならそっちで飲もうとすることがあります。
これは体験価値を求めているといえるのですが、
その体験価値の中でも良くわからないのが
「雰囲気がいい」を味わうということです。
雰囲気の消費ですね。
これ、即席でつくった感じがしてはだめ、
あと、誰もがそれを「いい雰囲気」と認める
だろう、という了解が前提になければならないなと。
もの凄くあやふやでもろいものなのに
「雰囲気がいい」と値段が高くなるのが
面白ポイントです。
誰かに気軽に声をかけるということが
できません。
うっ、うっっ
○○さん!
という感じで、しかも
うっ の前には何回も唾をのんでいます(-_-;)
つくづく自然に声かけられる人って
どういう思考回路でいるんだろう?
どういう感覚で声かけてるんだろう?
と疑問をもたざるを得ません。
これが簡単にできるようになったら
職場の人間模様もよくなるのかなぁ、
とか考えつつ
もしかしたらこれも各自が発見するべき
「文体」なのかもしれません。
ちょうど文章を書く時や発話行為をするとき
必ずなんらかの文体を真似ているわけなので、
気軽な一言二言でも、ほとんどいつも
声かけてる人って「型」にはまっています。
これが文体のもつ凄さであり、
知らない間に発動している怖さも感じられる
ところです。
精神療法の一つに
カウンセラーの先生と患者さんで、
患者さんの過去の物語を編むという
セラピーの手法があるそうです。
過去を語るとき、それは絶対に
過去の記憶そのままではなくて、
必ず物語として編まれ直す
ということが起きます。
その過去の語り直しということがなされて、
過去にけりをつけるというか、
消化するということがなされるそうです。
ですが、これはなにも精神疾患のある人
のみならず、誰に対しても有効な
手段だなと思っています。
例えば、Youtubeやブログでもよく
発信者が自分の悲惨な過去を語ってますが、
あれなんかはまさに語り直しで、
過去に対して自分の中で納得して、
なおかつ読者や閲覧者に共感をうながしています。
なので、過去は語り直されることによって
初めて自分の血肉になり、
自分の経験になる、といえるのだと思います。
口コミで広めてもらえるような
コンテンツをつくりましょう。
人に紹介したくなるような視点を記事に
しましょう。
こういうことが情報発信のハウツーや
ライティングのテクニックとして
唱えられることがしばしばあります。
そしてそれら拡散されやすいコンテンツ
は無料でいつでも誰でも見られるようになっていて、
アクセスが容易です。
そういうアクセスしやすいコンテンツがある一方で、
奥の方には、どこかでマネタイズしているコンテンツもあったりして、
初心者にはどこからどこまでが
無料でどこからどこまでが有料の情報になるのか
イマイチ見えにくいところがあります。
ですが、割と簡単で、
前の方で出されるコンテンツは「作品」に近くて、
後ろの方で出される有料のコンテンツは「商品」
と考えれば分かりやすいでしょう。
まず初めに面白いYouutbe動画とか
刺激的な記事とかがあって、
そのコンテンツに感動したりします。
で、そのコンテンツを鑑賞した後、
潜在的であれ、顕在的であれ、
「どうしたらこんな凄いコンテンツつくれるんだろう?」
「この作品の元になったコンテンツはなんだろう?」
というような疑問が湧いてきます。
つまりはHowの問いに対する応えが
抜けていて、
そこでそれに応えるように
有料コンテンツがオファーされるというのが
一般的な情報発信の流れです。
じゃあ何でHowに応えるコンテンツが
売れるかというと
そのコンテンツを読んだり聞いたりしている
人自身が、
自分でそういう優れた作品を作れるようになりたい
と思うからです。
お金を払ってでも作者の裏の意図とか、
どういうことを勉強してきたのかを
知って自分の情報発信で活かしたいからです。
この構造の面白いところは、
フロントで出されるコンテンツに対して
「自分にもこれできるだろうか?」
なんていう模倣欲みたいなのが
働いているってところだと思います。
この自己ブランディング欲を刺激できているかどうかが、
フロントの無料コンテンツで口コミが起こりやすいものか
そうでないのかの違いを分けます。
そして、その広まり具合によって
裏に控えている有料商品を買ってもらえるかどうかが
決まってくるわけなので、
拡散されやすいかそうでないかって
すごく大事だなと思います。
なんでこんなにポカミスをするのだろう、
というくらい仕事でミスをします。
見直しをしているのに
絶対なんか間違えてるんですよね。
そのとき次はミスしないようにしようと
思えればいですが、
そう思えないくらい何度もミスしたりで、
見直してもミスするし、
同じミスを次もするしで、
すごい自己嫌悪に陥ります。
ですが、人間である以上は
ミスするものなので、いかにそこで
否定的にならずに次に活かすかです。
あと、失敗をなんどもして
経験を積んで大きくなろうとか
言いますけど、やっぱり失敗は
失敗で、
規模やミスする人の年齢にもよりますが、
ミスをしたらミスした責任取るのが
やっぱりつらいので、
失敗はしないことを真剣に考えなきゃならないん
だとも思います。
なんでも運動として
ものごとを捉えてみると
問いが動きやすくなるかもしれません。
もちろん運動だから
自ずから性ともからみますが、
まずはその運動を勝手にさせるということが
必要です。
ネット起業に憧れています。
その理由の一つに、
自分で自分のやったことの
責任をとることができるという
点があります。
会社に所属していると、
何かミスをしてもなんだかんだで
その場では会社が金銭面では責任をとるので
その点が申し訳なくて
起業したいとも思います。
すべての会社が金銭面で社員に
やさしいわけではないと思いますし、
ボーナスカットや、減給やクビだってあるかもしれませんが、
とにかく自分でけりをつけている感覚がないです。
別にミスをしまくるのがいいというわけではなく
けりをつけることが多くなりすぎると感覚が
麻痺してくるんじゃないと思って
恐れています。
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